中3社会(歴史)の「戦後日本の民主化と国際社会への復帰」を、図と例題で1つずつ確かめるページです。1945年の敗戦と占領から、日本国憲法、1952年の独立の回復、1956年の国際連合への加盟、高度経済成長、1989年の冷戦の終結、これからの社会までの流れを、年号とともに学びます。どの見出しも「答え → 理由 → 例題」の順に書いています。紙に書いて練習したい人は、下の無料プリントを使ってください。
⏱ 30秒でわかる この単元の要点
- 1945年の敗戦後、日本は連合国軍に占領され、GHQの指令で日本の政府が政治を行う間接統治になった
- 1946年に公布された日本国憲法で、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義が定められた
- 1951年にサンフランシスコ平和条約を結んで1952年に独立を回復し、同じ日に結んだ日米安全保障条約でアメリカ軍の駐留を認めた
- 1955年に55年体制が始まり、1956年に日ソ共同宣言を結んで国際連合に加盟した
- 1950年代後半から1973年ごろの高度経済成長は石油危機で終わり、1989年に冷戦が終わった
つまずき注意:サンフランシスコ平和条約で独立を回復したが、沖縄などはアメリカの統治が続き、沖縄の返還は1972年だった。日本の国際連合への加盟は独立の回復と同じ年ではなく、1956年である。
この前の1927年から1945年までの流れは、中3社会「世界恐慌と第二次世界大戦」で解説しています。
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▶ ① 戦後改革と国際社会への復帰 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ。この記事の見出しごとに、対応するプリントとページを書いています。
- 戦後の日本は、どう生まれ変わり、国際社会にもどった? 単元の全体像
- 日本は、だれに、どのように占領された? 占領と戦後のくらし
- GHQは、日本をどのように民主化した? 五大改革指令と日本国憲法
- 戦後の世界は、なぜ東と西に分かれた? 冷戦と朝鮮戦争
- 冷戦と朝鮮戦争で、日本のあつかいはどう変わった? 占領政策の転換
- サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約は、どんな役割を持った?
- 独立したあと、日本の政治と外交はどう動いた? 55年体制と国際連合への加盟
- 冷戦の中で、核兵器と戦争をめぐって何が起きた? 第五福竜丸・キューバ危機・ベトナム戦争
- 日本は、近くの国々とどのように国交を結んだ? 日韓基本条約・沖縄の返還・日中共同声明
- 戦後の日本は、何が変わり、なぜ国際社会にもどれた? 戦前と戦後のくらべ
- 日本の経済は、なぜ、どのように急に大きくなった? 高度経済成長
- 急な経済成長のかげで、何がおこった? 過密・過疎と公害
- 高度経済成長は、なぜ終わった? 石油危機とそのあとの日本
- 高度経済成長で、くらしと文化はどう変わった? 家庭電化製品とマスメディア
- 冷戦は、どのように終わった? ベルリンの壁・ドイツの統一・ソ連の解体
- 冷戦が終わって、世界はどう変わった? EU・地域紛争・グローバル化
- 冷戦が終わったころ、日本の政治と経済はどう変わった? バブル経済と55年体制の終わり
- 冷戦後の日本は、世界やまわりの国々とどう関わってきた? PKOと近隣の国々との課題
- これからの日本は、どんな課題に向き合い、どんな社会をめざす? 災害・環境・SDGs
- 日本は、なぜ冷戦の中で経済成長でき、戦後をどう歩んできた?
- まとめ
戦後の日本は、どう生まれ変わり、国際社会にもどった? 単元の全体像
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)1ページ/プリント②(高度経済成長と現代)1ページ
答え:1945年の敗戦のあと、日本は連合国軍に占領され、新しい憲法のもとで民主的な国に生まれ変わりました。世界でアメリカとソ連が対立する冷戦が始まる中で、日本は1952年に独立を回復し、1956年に国際連合に加盟して国際社会にもどりました。そのあと経済が急に成長しましたが、1989年に冷戦が終わると、日本も世界も新しい課題に向き合うようになりました。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1945年 | ポツダム宣言の受け入れ・連合国軍の占領が始まる・国際連合ができる | 1965年 | 日韓基本条約 |
| 1946年 | 日本国憲法の公布 | 1972年 | 沖縄の返還・日中共同声明 |
| 1947年 | 日本国憲法の施行・教育基本法 | 1973年 | 石油危機(高度経済成長が終わる) |
| 1949年 | 中華人民共和国ができる | 1978年 | 日中平和友好条約 |
| 1950年 | 朝鮮戦争・警察予備隊 | 1989年 | ベルリンの壁がこわされる・冷戦の終結 |
| 1951年 | サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約 | 1993年 | 55年体制が終わる |
| 1952年 | 独立の回復 | 2011年 | 東日本大震災 |
| 1955年 | 55年体制・アジア・アフリカ会議 | 2015年 | パリ協定・SDGs |
| 1956年 | 日ソ共同宣言・国際連合に加盟 | 1950年代後半〜1973年ごろ | 高度経済成長 |
| 1960年 | 安保闘争 |
理由:前の単元では、1945年8月に日本が降伏し、第二次世界大戦が終わったことを学びました。この記事は、そのあとの1945年から今までを学びます。見出しは、占領 → 民主化と日本国憲法 → 冷戦 → 独立の回復と2つの条約 → 55年体制と国際連合への加盟 → 緊張緩和と近くの国々との国交 → 高度経済成長 → 公害と石油危機 → くらしと文化 → 冷戦の終結 → 冷戦後の日本とこれからの社会、の順に進みます。
世紀の数え方:20世紀は1901〜2000年、21世紀は2001〜2100年です。
まちがえやすい
✕ 2011年の東日本大震災は、20世紀のできごと → ◯ 2011年は21世紀(2001〜2100年)。1945年や1989年は20世紀(1901〜2000年)
基本日本が占領された1945年、冷戦が終わった1989年、東日本大震災があった2011年は、それぞれ何世紀のできごとですか。
20世紀は1901〜2000年、21世紀は2001〜2100年です。
答え:1945年と1989年は20世紀、2011年は21世紀
標準日本が独立を回復した年から、国際連合に加盟した年まで、何年たちましたか。
年表から、独立の回復は1952年、国際連合への加盟は1956年です。年の差:1956−1952=4(年)
答え:4年
日本は、だれに、どのように占領された? 占領と戦後のくらし
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)2・3ページ
答え:1945年8月、アメリカ軍を中心とする連合国軍が日本を占領しました。東京に置かれたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が指令を出し、日本の政府がそれにしたがって政治を行う間接統治でした。軍隊の解散や戦争犯罪人の裁判など、軍隊をなくす改革(非軍事化)が進みました。
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受け入れると決めました。8月末から、連合国軍が日本を占領しました(占領とは、ほかの国の軍隊が、その国の土地に入って支配することです)。GHQの最高司令官はマッカーサーでした。沖縄・奄美群島・小笠原諸島は、アメリカ軍が直接統治しました。
領土の変化:日本は、朝鮮・台湾などの植民地を失い、領土は本州・北海道・四国・九州と、周りの島々になりました。ソ連は、南樺太と千島列島を占領しました。北海道の東の歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島もソ連に占領されました。この4島は北方領土とよばれ、日本は今も返還を求めています。
- 軍隊を解散させた
- 戦争を進めた指導者たち(戦争犯罪人)を、極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁いた(1946〜1948年、東京)。戦争に協力した国民みなが裁かれたのではない
- 戦争に協力した人々を、役所や会社などの指導的な職から追放した(公職追放)
| どんなようす | なぜそうなった? | |
|---|---|---|
| 住む所 | 焼け跡に小屋を建てて住んだ | 空襲で家を失った人が多かったから |
| 食べ物 | 配給がおくれたり減ったりした。都市の人々は、着物などを持って農村へ食料を買いに行った(買い出し)。駅前などに、配給のほかの品物を高い値段で売り買いする闇市ができ、物の値段が大きく上がった | 食料が足りなかったから |
| 学校 | 校舎が焼けた学校では、外で授業を行った(青空教室)。教科書は、戦争や軍国主義に関係する所を墨でぬって消して使った(墨ぬり教科書) | 校舎が焼けたから。戦争や軍国主義の内容を、教えないようにしたから |
| 帰れない人々 | ソ連は、満州などにいた日本の兵士らをシベリアなどの寒い地域に連れていき、長い間きびしい労働をさせた(シベリア抑留。多くの人が亡くなった)。中国には、日本に帰れずに残された人々がいた(中国残留日本人) | 戦争が終わっても、すぐには帰れなかったから |
戦地の兵士が軍隊をはなれて家に帰る復員と、満州・朝鮮・台湾などに住んでいた人々が日本にもどる引きあげが続き、人口がふえて、仕事につけない人が多くなりました。
まちがえやすい
✕ 戦争に協力した国民みなが、東京裁判で裁かれた → ◯ 裁かれたのは戦争を進めた指導者たち(戦争犯罪人)。協力した人々は公職追放などになった
基本GHQの最高司令官を務めた人物はだれですか。
占領の説明で確かめます。
答え:マッカーサー
標準戦後すぐ、教科書の戦争や軍国主義に関係する所が墨でぬって消されたのはなぜですか。「軍国主義」の語を使って書きなさい。
戦後のくらしの表の「学校」の行で確かめます。
答え:戦争や軍国主義の内容を、教えないようにしたから。
標準ソ連に占領され、北方領土とよばれる4つの島の名前を答えなさい。
領土の変化の説明と地図で確かめます。
答え:歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島
GHQは、日本をどのように民主化した? 五大改革指令と日本国憲法
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)4・5ページ
答え:1945年10月、GHQは五大改革指令を出し、選挙・経済・労働などの民主化が始まりました。1946年11月3日に公布された日本国憲法で、主権が天皇から国民に移り、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三つの基本原理が定められました。
五大改革指令:1945年10月、GHQが日本の政府に出した指令で、女性の解放(参政権)・労働組合の結成のすすめ・教育の自由主義化・国民をおさえつけてきた制度の廃止・経済の民主化の5つです。同じ1945年10月、治安維持法(1925年に社会主義などの運動を取りしまった法律)が廃止され、政治活動の自由が認められました。
| 分野 | 改革の中身 |
|---|---|
| 選挙 | 1925年の普通選挙法は満25歳以上の男子。1945年12月の選挙法の改正で、満20歳以上の男女になった。1946年4月の総選挙では、初めて女性の国会議員が生まれた |
| 経済 | 三井・三菱などの財閥が解体された(財閥解体)。1946年から農地改革が進められ、政府が、地主の小作地のうち一定の面積をこえる分を強制的に買い上げ、小作人に安く売りわたした。自作農が大幅に増え、地主が小作人を支配する関係はなくなった |
| 労働 | 1945年に労働組合法(労働者が労働組合をつくる権利を認めた)。1947年に労働基準法(働く時間など、労働条件の最低の基準を定めた) |
- 1946年1月 天皇が、自分が神であることを否定する(人間宣言)
- GHQがつくった草案をもとに、政府が改正案をつくる
- 帝国議会で審議し、修正して可決する
- 11月3日 日本国憲法が公布される
公布は、できた法律を国民に知らせること(1946年11月3日)、施行は、その法律が効力を持つこと(1947年5月3日)です。天皇は、日本国と日本国民統合の象徴になり、政治の権限を持たなくなりました。国会は国権の最高機関で、法律をつくることができるただ一つの機関です。
| 大日本帝国憲法(1889年2月11日発布) | 日本国憲法(1946年11月3日公布) | |
|---|---|---|
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 国民の権利 | 法律の範囲内で認められる | 永久の権利として保障される(基本的人権) |
| 軍隊 | 天皇が率い、国民に兵役の義務 | 戦争を放棄し、戦力を持たない |
| 議会 | 天皇の政治を助ける(協賛) | 国権の最高機関 |
憲法にもとづいて、1947年に法律ができました。民法の改正で、戸主が家族を支配する家の制度を改め、男女平等・夫婦は同じ権利としました。教育基本法は、民主主義の教育の基本を示し、9年間の義務教育(小学校6年・中学校3年)・男女共学を定めました。
覚え方:「選挙は男女ともに、農地は耕す人へ」。
まちがえやすい
✕ 公布と施行は同じ日で、1946年11月3日に日本国憲法が効力を持った → ◯ 公布(国民に知らせる)は1946年11月3日、施行(効力を持つ)は1947年5月3日
基本日本国憲法の三つの基本原理を答えなさい。
日本国憲法の中身の説明で確かめます。
答え:国民主権・基本的人権の尊重・平和主義
標準農地改革の後、地主が小作人を支配する関係がなくなったのはなぜですか。「自作農」の語を使って書きなさい。
経済の改革の説明で確かめます。政府が地主の小作地を買い上げ、小作人に安く売りわたしました。
答え:小作人が自分の土地を耕す自作農になり、自作農が大幅に増えたから。
標準日本国憲法が公布された日と、施行された日を、それぞれ答えなさい。
公布は国民に知らせること、施行は効力を持つことです。
答え:公布=1946年11月3日、施行=1947年5月3日
戦後の世界は、なぜ東と西に分かれた? 冷戦と朝鮮戦争
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)6・7ページ
答え:1945年に国際連合ができた一方で、戦後の世界は、アメリカ中心の西側と、ソ連中心の東側に分かれて対立しました。これを冷戦(冷たい戦争)といいます。アジアでは中国が1949年に中華人民共和国になり、朝鮮半島では1950年に朝鮮戦争が始まりました。
国際連合:1945年10月、第二次世界大戦の反省から、世界の平和を守るためにできました(本部はニューヨーク)。国際連盟とのちがいは、アメリカ・ソ連などの大国が加わり、武力による制裁もできることです。安全保障理事会の常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国の5か国)は、1か国でも反対すると決定ができない拒否権を持ちます。
| 西側 | 東側 | |
|---|---|---|
| 中心の国 | アメリカ | ソ連 |
| 経済のしくみ | 資本主義(個人や会社が自由に商売をする) | 共産主義(社会主義)(国が中心になって経済を進める) |
| 軍事同盟 | 北大西洋条約機構(NATO)(1949年) | ワルシャワ条約機構(1955年) |
冷戦は、直接は戦争をしませんが、核兵器などの軍備を競って対立したので、冷たい戦争とよばれます(1940年代の後半から)。1949年、ドイツは、西側の西ドイツと、東側の東ドイツの2つの国に分かれました。首都だったベルリンは東ドイツの中にあり、ベルリンも東と西に分かれました。
地図で見分けるときは、NATOに入るイギリス・フランス・西ドイツ・イタリアが西側、ワルシャワ条約機構に入る東ドイツ・ポーランド・ソ連が東側です。
中国:国民党(蒋介石)と、共産党(毛沢東)の内戦が続きました。共産党が勝ち、1949年に中華人民共和国ができました(主席は毛沢東)。国民党は台湾にのがれました。
- 1945年 日本の支配から解放される。北緯38度線を境に、南をアメリカ、北をソ連が占領する
- 1948年 南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ができる
- 1950年 北朝鮮が韓国に攻めこみ、朝鮮戦争が始まる
- 1950年 アメリカを中心とする国連軍が韓国を、中国の義勇軍(自分の意思で戦いに加わる軍)が北朝鮮を助ける
- 1953年 戦いを一時やめる休戦になる
休戦のあとも、朝鮮半島は今も南北に分かれたままです。アジアでは、インド・インドネシア・フィリピンなどが独立し、1955年にインドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開かれ、植民地支配に反対し、平和共存を訴えました。1960年には、アフリカで多くの国が独立し、「アフリカの年」とよばれました。
まちがえやすい
✕ 朝鮮戦争は、韓国と北朝鮮の2つの国の戦争だった → ◯ 国連軍が韓国を、中国の義勇軍が北朝鮮を助けた(冷戦の対立がアジアで戦争になった)
基本冷戦で、西側の中心の国と、東側の中心の国は、それぞれどこですか。
西側と東側をくらべた表の「中心の国」の行で確かめます。
答え:西側=アメリカ、東側=ソ連
標準この対立が「冷たい戦争」とよばれたのはなぜですか。「直接」「軍備」の2つの語を使って書きなさい。
冷戦の説明で確かめます。
答え:直接は戦争をしないが、核兵器などの軍備を競って対立したから。
標準朝鮮戦争で、国連軍と中国の義勇軍は、それぞれどちらの国を助けましたか。
朝鮮半島の流れの4つ目の項目で確かめます。
答え:国連軍=韓国、中国の義勇軍=北朝鮮
冷戦と朝鮮戦争で、日本のあつかいはどう変わった? 占領政策の転換
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)8ページ
答え:冷戦が始まると、アメリカは日本を西側の一員として強くするため、民主化よりも経済の立て直しを重視するようになりました(占領政策の転換、1948年ごろから)。1950年に朝鮮戦争が始まると、日本には警察予備隊がつくられ、特需景気が起こりました。
- 1950年 朝鮮戦争が始まり、日本にいたアメリカ軍が朝鮮半島に出動する
- 同じ1950年 GHQの指令で警察予備隊がつくられる(1952年に保安隊、1954年に自衛隊になった)
- アメリカ軍が日本で大量の軍需物資(武器や車の修理・衣類など)を注文し、日本の経済が好景気になる(特需景気)
まちがえやすい
✕ 占領のねらいは、1945年から1952年までずっと民主化だった → ◯ 冷戦が始まった1948年ごろから、民主化よりも経済の立て直しを重視するようになった
基本朝鮮戦争で、アメリカ軍が日本で軍需物資を大量に注文したために、日本の経済が好景気になったことを何といいますか。
朝鮮戦争の説明の3つ目の項目で確かめます。
答え:特需景気
標準朝鮮戦争のとき、日本の経済が好景気になったのはなぜですか。「注文」の語を使って書きなさい。
特需景気の説明で確かめます。
答え:アメリカ軍が日本で大量の軍需物資を注文したから。
サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約は、どんな役割を持った?
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)8ページ
答え:1951年9月、吉田茂首相がアメリカなど多くの国とサンフランシスコ平和条約を結び、1952年4月に条約が効力を持って、日本は独立を回復しました。同じ日に結んだ日米安全保障条約は、独立後もアメリカ軍が日本に駐留し、基地を使うことを認めました。
| サンフランシスコ平和条約 | 日米安全保障条約(日米安保条約) | |
|---|---|---|
| 結んだ相手 | アメリカなど多くの国(ソ連などは調印せず、中国は会議に招かれなかった) | アメリカ |
| 決めたこと | 日本が独立を回復する。朝鮮の独立を認め、台湾・千島列島・南樺太を放棄する | 独立後も、アメリカ軍が日本に駐留し、基地を使うことを認める |
| 役割 | 戦争を終わらせる約束(講和)を結び、占領を終えて独立を回復する | 独立した日本に、アメリカ軍が駐留を続ける |
朝鮮戦争の中で、アメリカは日本との講和(戦争を終わらせる約束を結ぶこと)を急ぎました。1951年9月に、アメリカのサンフランシスコで講和会議が開かれました。条約で、沖縄・奄美群島・小笠原諸島は、アメリカの統治が続きました。
覚え方:「平和条約で独立を回復、安保条約でアメリカ軍が駐留」。
まちがえやすい
✕ サンフランシスコ平和条約で、日本は独立を回復し、沖縄も日本に返された → ◯ 沖縄などはアメリカの統治が続き、沖縄が返されたのは1972年
基本サンフランシスコ平和条約で、日本が放棄した地域を、3つ答えなさい。
2つの条約をくらべた表の「決めたこと」の行で確かめます。朝鮮は、独立を認めました。
答え:台湾・千島列島・南樺太
標準サンフランシスコ平和条約と、日米安全保障条約では、それぞれ何が決められましたか。
表の「決めたこと」の行を、条約ごとに分けて読みます。
答え:平和条約=日本が独立を回復する(朝鮮の独立を認め、台湾・千島列島・南樺太を放棄する)。安保条約=独立後も、アメリカ軍が日本に駐留し、基地を使うことを認める。
標準サンフランシスコ平和条約を結んだとき、調印しなかった国と、講和会議に招かれなかった国を、それぞれ答えなさい。
表の「結んだ相手」の行で確かめます。
答え:調印しなかった国=ソ連など、招かれなかった国=中国
独立したあと、日本の政治と外交はどう動いた? 55年体制と国際連合への加盟
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)9ページ
答え:1955年に自由民主党ができ、自民党が政権をにぎり社会党が野党の第一党として対立する55年体制が始まりました。1956年、鳩山一郎首相が日ソ共同宣言に調印してソ連との国交を回復し、同じ年に日本は国際連合に加盟して、国際社会に復帰しました。1960年には安保闘争が起きました。
55年体制:日本社会党は、1951年に、平和条約などへの考え方のちがいから右派と左派に分かれていました。1955年、社会党が一つにまとまると、自由党と日本民主党が一つになって自由民主党(自民党)ができました。自民党が政権をにぎり、社会党が野党(政権を持たない政党)の第一党として対立した政治のしくみを、55年体制といいます(1955年から1993年まで)。自民党などを保守、社会党・共産党などを革新とよびました。保守は今のしくみを大切にする考え、革新はしくみを大きく変えようとする考えをさします。
国際社会への復帰:鳩山一郎首相が日ソ共同宣言に調印し、ソ連との国交(国と国の正式なつきあい)を回復しました。それまで加盟に反対していたソ連が反対しなくなり、同じ1956年、日本は国際連合に加盟しました。日ソ共同宣言では、平和条約を結んだあとに歯舞群島・色丹島を日本にわたすとしましたが、平和条約は今も結ばれていません。
安保闘争:1960年、岸信介内閣は、日米安全保障条約を改定しました。これに反対する人々の大きな運動が、国会のまわりなどで起きました。条約は成立し、岸内閣は退陣しました。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1951年 | 平和条約・日米安全保障条約 | 1956年 | 日ソ共同宣言・国際連合に加盟 |
| 1952年 | 独立の回復 | 1960年 | 安保闘争 |
| 1955年 | 55年体制・アジア・アフリカ会議 |
覚え方:「55年に体制ができ、56年に国連へ、60年に安保闘争」。
まちがえやすい
✕ 日本は、独立を回復した1952年に国際連合に加盟した → ◯ 国際連合への加盟は1956年。ソ連との日ソ共同宣言のあと、ソ連が反対しなくなった
基本55年体制のとき、政権をにぎった政党と、野党の第一党になった政党は、それぞれどこですか。
55年体制の説明で確かめます。
答え:政権=自由民主党(自民党)、野党の第一党=日本社会党(社会党)
標準保守とよばれた政党と、革新とよばれた政党を、それぞれ例をあげて答えなさい。
55年体制の説明の最後の文で確かめます。
答え:保守=自民党など、革新=社会党・共産党など
標準1956年に、日本が国際連合に加盟できたのはなぜですか。「ソ連」の語を使って書きなさい。
国際社会への復帰の説明で確かめます。
答え:それまで加盟に反対していたソ連が、反対しなくなったから。
冷戦の中で、核兵器と戦争をめぐって何が起きた? 第五福竜丸・キューバ危機・ベトナム戦争
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)10ページ
答え:1954年に第五福竜丸が被ばくして原水爆禁止運動が広がり、1962年のキューバ危機では核戦争の寸前まで対立しました。そのあと米ソの話し合いが進み、対立がやわらぎました(緊張緩和)。一方、ベトナム戦争には、アメリカが1965年から本格的に加わりました。
アメリカとソ連は、核兵器の開発を競いました。1954年3月、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で、日本の漁船・第五福竜丸の乗組員が被ばく(放射線を浴びること)しました。これをきっかけに、核兵器に反対する原水爆禁止運動が全国に広がり、1955年には広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれました。
- 1962年 ソ連が、キューバにミサイル基地をつくろうとする
- アメリカが、海上でキューバを囲む
- 核戦争の寸前まで対立する(キューバ危機)
- ソ連が、基地を取りのぞく
そのあと、アメリカとソ連は話し合いを進め、対立がやわらぎました(緊張緩和)。南北に分かれたベトナムで、アメリカは南を支援し、1965年から北ベトナムへの爆撃など、本格的に戦争に加わりました。世界や日本で反戦運動が広がり、1973年にアメリカ軍が引きあげ、1975年に戦争が終わりました。沖縄のアメリカ軍の基地は、ベトナム戦争にも使われました。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1954年 | 第五福竜丸が被ばくする | 1965年 | アメリカがベトナム戦争に本格的に加わる |
| 1955年 | 第1回原水爆禁止世界大会 | 1973年 | アメリカ軍が引きあげる |
| 1962年 | キューバ危機 | 1975年 | ベトナム戦争が終わる |
まちがえやすい
✕ キューバ危機では、アメリカとソ連が実際に核戦争を始めた → ◯ 核戦争の寸前まで対立したが、ソ連が基地を取りのぞいた
基本1954年3月に、アメリカが水爆実験を行った、太平洋の場所はどこですか。
核兵器の説明で確かめます。
答え:ビキニ環礁
標準キューバ危機のあと、アメリカとソ連の関係はどうなりましたか。
キューバ危機の説明の最後の文で確かめます。
答え:話し合いを進め、対立がやわらいだ(緊張緩和)。
標準アメリカがベトナム戦争に本格的に加わった年から、戦争が終わった年まで、何年たちましたか。
表から、本格的に加わったのは1965年、戦争が終わったのは1975年です。年の差:1975−1965=10(年)
答え:10年
日本は、近くの国々とどのように国交を結んだ? 日韓基本条約・沖縄の返還・日中共同声明
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)11ページ
答え:1965年に佐藤栄作内閣が韓国と日韓基本条約を結び、1972年5月15日に沖縄が日本に返還されました。1972年9月に田中角栄首相が日中共同声明を発表して中華人民共和国と国交を正常化し、1978年に日中平和友好条約を結びました。
| 相手の国 | 年 | 結んだもの | 首相 |
|---|---|---|---|
| ソ連 | 1956年 | 日ソ共同宣言 | 鳩山一郎 |
| 韓国 | 1965年 | 日韓基本条約 | 佐藤栄作 |
| 中華人民共和国 | 1972年・1978年 | 日中共同声明(1972年)→ 日中平和友好条約(1978年) | 田中角栄(日中共同声明のとき) |
韓国:日韓基本条約で、韓国の政府を朝鮮半島の唯一の合法的な政府と認めて、国交を正常化しました。北朝鮮とは、今も国交がありません。
沖縄:沖縄はアメリカの統治が続き、アメリカ軍の基地はベトナム戦争にも使われました。沖縄の人々は、日本への復帰を求める運動を続けました。1972年5月15日、佐藤栄作内閣のとき、沖縄が日本に返還されました。しかし、アメリカ軍の基地の多くは残り、今も沖縄の課題となっています。このころ佐藤内閣は、核兵器を「持たず、つくらず、持ちこませず」という非核三原則をかかげました。
中国:1972年2月、アメリカの大統領が中国を訪問し、アメリカと中国が近づきました。9月、田中角栄首相が中国を訪れ、日中共同声明を発表して、中華人民共和国と国交を正常化しました(台湾の政府とは国交を断ちました)。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1953年 | 奄美群島の返還 | 1972年5月 | 沖縄の返還 |
| 1965年 | 日韓基本条約 | 1972年9月 | 日中共同声明 |
| 1968年 | 小笠原諸島の返還 | 1978年 | 日中平和友好条約 |
覚え方:「1965は韓国、1972は沖縄と中国、1978は友好条約」。
まちがえやすい
✕ 日本は、韓国と同じように北朝鮮とも国交を正常化した → ◯ 北朝鮮とは、今も国交がない
基本日韓基本条約を結んだときの、日本の内閣の首相はだれですか。
国交を結んだ相手と首相をまとめた表で確かめます。
答え:佐藤栄作
標準沖縄が日本に返還された年月日と、そのときの内閣の首相を答えなさい。
沖縄の説明で確かめます。
答え:1972年5月15日、佐藤栄作
標準日中共同声明を発表した年から、日中平和友好条約を結んだ年まで、何年たちましたか。
日中共同声明は1972年、日中平和友好条約は1978年です。年の差:1978−1972=6(年)
答え:6年
戦後の日本は、何が変わり、なぜ国際社会にもどれた? 戦前と戦後のくらべ
📄 プリント①(戦後改革と国際社会への復帰)12ページ
答え:戦後の日本は、連合国軍に占領されて民主化が進み、日本国憲法で主権が国民に移りました。冷戦が始まると、アメリカが日本を西側の一員として強くしようと考え、日本は1952年に独立を回復し、1956年に国際連合に加盟しました。
| 戦前 | 戦後 | |
|---|---|---|
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 選挙 | 満25歳以上の男子 | 満20歳以上の男女 |
| 経済 | 三井・三菱などの大企業のグループが経済を支配 | 財閥が解体され、経済を支配できなくなった |
| 農村 | 多くの農家が、地主から土地を借りる小作 | 自作農が増えた |
| 家族 | 戸主が家族を支配する家の制度 | 男女平等(民法の改正) |
| 軍隊と平和 | 天皇が軍隊を率い、国民に兵役の義務 | 憲法で戦争の放棄を定め、戦力を持たない |
| 段階 | できごと |
|---|---|
| ① | 敗戦と占領(1945年) |
| ② | アメリカとソ連の対立(冷戦)が始まる(1940年代の後半) |
| ③ | アメリカが、日本を西側の一員として強くするため、経済の立て直しを重視する(1948年ごろ) |
| ④ | 朝鮮戦争・警察予備隊・特需景気(1950年) |
| ⑤ | 平和条約と日米安全保障条約を結ぶ(1951年) |
| ⑥ | 独立を回復する(1952年) |
| ⑦ | 国際連合に加盟する(1956年) |
北方領土、沖縄のアメリカ軍の基地、北朝鮮との国交は、今も残る課題です。
まちがえやすい
✕ 戦後の改革は、戦前のしくみを少し直しただけだった → ◯ 主権が天皇から国民に移り、選挙権・経済・農村・家族・軍隊のしくみが大きく変わった
基本戦前と戦後で、主権をもつ人は、それぞれだれでしたか。
戦前と戦後をくらべた表の「主権」の行で確かめます。
答え:戦前=天皇、戦後=国民
標準戦後に農村で自作農が増えたのはなぜですか。また、戦前の農家の多くは、何をしていましたか。
表の「農村」の行と、農地改革の説明で確かめます。
答え:農地改革で、政府が地主の小作地を買い上げて小作人に安く売りわたしたから。戦前の農家の多くは、地主から土地を借りる小作だった。
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 朝鮮戦争が始まる イ 国際連合に加盟する ウ 日本国憲法が公布される エ 平和条約と日米安全保障条約を結ぶ
まず年を思い出します。ア=1950年、イ=1956年、ウ=1946年、エ=1951年です。年の小さい順に並べます。
答え:ウ → ア → エ → イ
日本の経済は、なぜ、どのように急に大きくなった? 高度経済成長
📄 プリント②(高度経済成長と現代)2ページ
答え:1950年代後半から1973年ごろまで、日本の経済が年平均でおよそ10%の速さで成長し続けました。これを高度経済成長といいます。1960年に池田勇人内閣が所得倍増をかかげ、1964年に東京オリンピック・パラリンピックが開かれ、1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国の中で第2位になりました。
特需景気(朝鮮戦争のとき、アメリカ軍が日本で軍需物資を注文して好景気になったこと)で、日本の産業は立ち直りました。
- 新しい技術をとり入れ、重化学工業(鉄鋼・造船・石油化学など)が発展した
- エネルギーの中心が、石炭から石油に変わった(エネルギー革命)。中東などから、安い石油を大量に買えるようになった
- 太平洋側の海ぞいに、石油化学コンビナート(石油を原料にする工場の集まり)ができた
- 1960年、池田勇人内閣が所得倍増(国民の所得を大きく増やすという目標)をかかげた
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1950年代後半 | 高度経済成長が始まる |
| 1960年 | 所得倍増がかかげられる |
| 1964年 | 東京オリンピック・パラリンピックの開催(アジアで初めて)。東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線が開通 |
| 1968年 | GNP(国民が1年間に生み出した物やサービスの価値の合計)が、資本主義国の中でアメリカに次ぐ第2位になる |
覚え方:「60 倍増、64 オリンピックと新幹線、68 GNP 2位」。
まちがえやすい
✕ オリンピックで高度経済成長が始まった → ◯ 始まりは1950年代後半(オリンピックは途中)
基本1960年に所得倍増をかかげた内閣の首相はだれですか。
高度経済成長を支えたものの説明で確かめます。
答え:池田勇人
標準石油化学コンビナートとは何ですか。また、どこにできましたか。
経済を支えたものの3つ目の項目で確かめます。
答え:石油を原料にする工場の集まり。太平洋側の海ぞいにできた。
標準所得倍増がかかげられた年から、GNPが資本主義国で第2位になった年まで、何年たちましたか。
表から、所得倍増は1960年、第2位は1968年です。年の差:1968−1960=8(年)
答え:8年
急な経済成長のかげで、何がおこった? 過密・過疎と公害
📄 プリント②(高度経済成長と現代)3ページ
答え:都市では過密、農村では過疎がおこり、経済の成長を優先したため、各地で公害がおこりました。国は、1967年に公害対策基本法をつくり、1971年に環境庁を置いて対策を進めました。
| 都市 | 農村 | |
|---|---|---|
| 人の動き | 若い人が移ってきて、人がふえる | 若い人が出ていき、人がへる |
| よび名と困ったこと | 過密:人が集まりすぎて、住宅が足りなくなったり、道路が渋滞したりする | 過疎:人が減って、学校・病院・バスなどを保つのが難しくなる |
工場が多い都市では働き手が必要になり、農村から都市へ若い人が移りました。
経済の成長を優先したため、工場の廃水やけむりへの対策がおくれ、各地で公害(人々の健康やくらしがそこなわれること)がおこりました。その中の4つを四大公害病といいます。
| 病名 | 場所 | 原因 |
|---|---|---|
| 水俣病 | 熊本県・鹿児島県の八代海沿岸 | 有機水銀 |
| 新潟水俣病 | 新潟県の阿賀野川流域 | 有機水銀 |
| イタイイタイ病 | 富山県の神通川流域 | カドミウム |
| 四日市ぜんそく | 三重県四日市市 | 石油化学コンビナートの工場のけむりによる大気汚染 |
住民たちは、企業などを相手に裁判(訴訟)を起こし、4つとも患者側が勝ちました。
- 1967年 公害対策基本法(公害を防ぐための、基本となる法律)をつくった
- 1971年 環境庁(公害の対策や自然を守る仕事をまとめて行う国の役所。今の環境省)ができた
まちがえやすい
✕ イタイイタイ病の原因は、有機水銀 → ◯ カドミウム(有機水銀は、水俣病と新潟水俣病の原因)
基本イタイイタイ病がおこった県と、原因になった物質を答えなさい。
四大公害病の表の3行目で確かめます。
答え:富山県、カドミウム
標準高度経済成長のころ、都市で人がふえ、農村で人がへったのはなぜですか。「働き手」の語を使って書きなさい。
都市と農村をくらべた表の前の説明で確かめます。
答え:工場が多い都市では働き手が必要になり、農村から都市へ若い人が移ったから。
標準公害対策基本法と環境庁は、どちらが先にできましたか。また、何年ちがいますか。
公害対策基本法は1967年、環境庁は1971年です。年の差:1971−1967=4(年)
答え:公害対策基本法が先。4年ちがう。
高度経済成長は、なぜ終わった? 石油危機とそのあとの日本
📄 プリント②(高度経済成長と現代)4ページ
答え:1973年に中東で戦争がおこり、産油国が石油の価格を大きく引き上げたため、安い石油にたよっていた日本の経済が大きな打撃を受けました(石油危機)。これで高度経済成長が終わり、日本の企業は省エネルギーの技術と輸出に力を入れました。
- 1973年 中東で第四次中東戦争がおこる
- アラブの産油国(石油をたくさん産出する国)が、石油の価格を大きく引き上げ、輸出を減らす
- 物価が急に上がり、安い石油にたよっていた日本の経済が、大きな打撃を受ける
- 高度経済成長が終わる
石油危機(オイル・ショック)は、1973年、石油の価格が大きく上がり、日本の経済が大きな打撃を受けたできごとです。そのあと、企業は省エネルギー(少ないエネルギーで製品をつくること)の技術を進め、自動車や電気機械の輸出をのばしました。1980年代には、アメリカなどとの間で、貿易摩擦(日本からの輸出が多すぎるという対立)が激しくなりました。
2本の線があるグラフの読み方:経済のグラフには、左と右に目もりがあり、2本の線がかかれた物があります。2本の線は別の物を表すので、片方の動きから、もう片方の動きを決めつけられません。
- 凡例で、線ごとの記号(●や○など)を確かめる
- その線の目もりが、左と右のどちらかを確かめる
- 線を1本ずつ、上がり下がりを読む(もう1本の動きと混ぜない)
まちがえやすい
✕ 石油危機は、日本の石油が出なくなったからおこった → ◯ 中東での戦争をきっかけに、産油国が石油の価格を引き上げた
基本石油危機のきっかけになった、1973年に中東でおこった戦争を何といいますか。
石油危機の流れの1つ目の項目で確かめます。
答え:第四次中東戦争
標準石油危機で、日本の経済が大きな打撃を受けたのはなぜですか。「安い石油」の語を使って書きなさい。
石油危機の流れの3つ目の項目で確かめます。
答え:産油国が石油の価格を大きく引き上げて物価が急に上がり、安い石油にたよっていたから。
標準左右に目もりがあり、2本の線がかかれたグラフ(架空の例:町の自動車の台数と、バスの利用者数)を読むとき、線を読む前に確かめることを、2つ答えなさい。
2本の線があるグラフの読み方で確かめます。
答え:凡例で線ごとの記号を確かめる。その線の目もりが、左と右のどちらかを確かめる。
高度経済成長で、くらしと文化はどう変わった? 家庭電化製品とマスメディア
📄 プリント②(高度経済成長と現代)5・6ページ
答え:所得が増えて家庭電化製品が広まり、家事が楽になって余暇がふえました。テレビなどのマスメディアが広まり、全国で同じ情報や文化を楽しめるようになり、情報を確かめるメディアリテラシーも大切になりました。
| 三種の神器 | 3C | |
|---|---|---|
| いつごろ | 1950年代後半から | 1960年代後半から |
| 何が | 白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫 | カラーテレビ・クーラー・自動車(カー)。それぞれの英語の頭文字が C |
所得が増える → 家庭電化製品が広まる → 家事の時間が短くなる → 余暇(自由に使える時間)がふえる、という流れです。電気洗濯機や電気冷蔵庫で家事が楽になり、余暇がふえて、人々は文化や楽しみに時間を使えるようになりました。
テレビの放送は1953年に始まり、高度経済成長の間に家庭へ広まりました。テレビが広まる前は、新聞やラジオで文字や音として情報を受け取っていましたが、広まったあとは、全国の人々が同じ番組やニュースを同じ時に見るようになり、話題や流行も全国で同じになっていきました。
マスメディア:テレビ・新聞・ラジオ・雑誌のように、多くの人に同じ情報を一度に伝えるものです。
| 種類 | 伝え方 | よい点 |
|---|---|---|
| テレビ | 音と映像 | 同じ時に、全国の人々へ、すぐ伝わる |
| 新聞 | 文字と写真 | くわしく書け、あとから読み返せる |
| ラジオ | 音声 | 聞きながら、ほかのことができる |
| 雑誌 | 文字と写真 | テーマをしぼって、くわしく伝えられる |
現代の文化:手塚治虫のマンガとテレビアニメ(『鉄腕アトム』)が広まりました。1968年、川端康成が、日本人で初めてノーベル文学賞を受けました。
メディアリテラシー:情報をそのままうのみにせず、だれが・いつ・何のために出したかや、ほかの情報とくらべて確かめ、正しく読み取る力です。だれが出した情報かを確かめるのは、出した人の考えや目的で、伝え方がちがうことがあるからです。いつの情報かを確かめるのは、古い情報は今は正しくないことがあるからです。ほかの情報とくらべるのは、1つの情報だけでは、かたよりに気づきにくいからです。
覚え方:「神器は白黒・洗濯・冷蔵庫、3C はカラー・クーラー・カー」。
まちがえやすい
✕ 三種の神器に、カラーテレビが入る → ◯ 三種の神器のテレビは白黒テレビ(カラーテレビは3C)
基本テレビアニメ『鉄腕アトム』が広まるもとになったマンガを描いた人物はだれですか。
現代の文化の説明で確かめます。
答え:手塚治虫
標準電気洗濯機や電気冷蔵庫が広まると、人々の余暇がふえたのはなぜですか。「家事」の語を使って書きなさい。
所得が増えてからの流れで確かめます。
答え:家事の時間が短くなり、自由に使える時間がふえたから。
標準「この商品を使えば、一日で成績が上がる」という広告(架空の例)を見たとき、「だれが出した情報か」を確かめるのはなぜですか。
メディアリテラシーの説明の2文目で確かめます。
答え:出した人の考えや目的で、伝え方がちがうことがあるから。
冷戦は、どのように終わった? ベルリンの壁・ドイツの統一・ソ連の解体
📄 プリント②(高度経済成長と現代)7ページ
答え:1989年にベルリンの壁がこわされ、アメリカとソ連の首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言しました。1990年に西ドイツと東ドイツが統一し、1991年にソ連が解体して、世界の東西の対立がなくなりました。
冷戦は、アメリカ中心の西側(資本主義)と、ソ連中心の東側(共産主義)の対立でした。1980年代、ソ連と東ヨーロッパの国々は、経済が行きづまっていました。
- 1989年 東ヨーロッパの国々で共産党の政治がたおれ、民主化が進む
- 1989年 東西のベルリンを分けていたベルリンの壁がこわされる
- 1989年 アメリカとソ連の首脳が、地中海のマルタ島で会談し、冷戦の終結を宣言する(マルタ会談)
- 1990年 西ドイツと東ドイツが統一し、1つの国になる
- 1991年 ソ連の解体(ソ連が、ロシアなど多くの国に分かれる)
民主化とは、国民が政治に参加できるしくみに変わっていくことです。
| 冷戦の間 | 冷戦の終結のあと | |
|---|---|---|
| ドイツ | 西ドイツと東ドイツに分かれていた | 1990年に1つの国になった |
| ソ連 | 東側の中心だった | 1991年に多くの国に分かれた |
覚え方:「89 壁がこわれ会談で終わり、90 ドイツが1つ、91 ソ連が分かれる」。
まちがえやすい
✕ ソ連が解体したあとに、ベルリンの壁がこわされた → ◯ 壁(1989年)→ ドイツの統一(1990年)→ ソ連の解体(1991年)の順
基本1991年に、ソ連はどうなりましたか。
冷戦の終結のあとの表で確かめます。
答え:解体し、ロシアなど多くの国に分かれた。
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア ソ連が解体する イ 西ドイツと東ドイツが統一する ウ ベルリンの壁がこわされる
ア=1991年、イ=1990年、ウ=1989年です。年の小さい順に並べます。
答え:ウ → イ → ア
冷戦が終わって、世界はどう変わった? EU・地域紛争・グローバル化
📄 プリント②(高度経済成長と現代)8ページ
答え:冷戦が終わると、ヨーロッパではEU(1993年)ができて地域の統合が進む一方で、地域紛争や同時多発テロ(2001年)がおこり、人・物・お金・情報が国境をこえるグローバル化が進みました。
| 動き | どんなこと? | 年 |
|---|---|---|
| 地域の統合 | ヨーロッパの国々が、経済や政治で1つのまとまりになった。EU(ヨーロッパ連合)が発足した | 1993年 |
| 新しい争い | 民族や宗教のちがいなどから、地域紛争(限られた地域でおこる争い)が各地でおこり、故郷をはなれる難民が生まれた。イラクがクウェートに侵攻→アメリカなどの多国籍軍がイラクと戦った=湾岸戦争 | 侵攻は1990年、戦争は1991年 |
| アメリカのニューヨークなどで、乗っ取られた旅客機が高層ビルなどに突入した=同時多発テロ | 2001年9月 | |
| グローバル化 | 人・物・お金・情報が国境をこえて行き来し、世界の結びつきが強まること | 冷戦後に進む |
なぜ、冷戦後に争いがふえた?:冷戦の間は、東西の大きな対立の中で、民族や宗教のちがいによる争いの多くはおさえられていました。冷戦のあとは、おさえられていた争いが、各地の地域紛争としておこりました。
グローバル化で必要になったこと:グローバル化が進むと、世界のどこかでおこったことが、すぐ他の国にも伝わります。環境・テロ・感染症のように、1つの国だけでは解決できない問題がふえ、国々の協力が必要になりました。
まちがえやすい
✕ 冷戦が終わって、世界の争いはなくなった → ◯ 地域紛争やテロがおこるようになった
基本人・物・お金・情報が国境をこえて行き来し、世界の結びつきが強まることを何といいますか。
表の最後の行で確かめます。
答え:グローバル化
標準冷戦が終わったあとに、地域紛争がふえたのはなぜですか。「おさえられていた」の語を使って書きなさい。
「なぜ、冷戦後に争いがふえた?」の説明で確かめます。
答え:冷戦の間は、東西の大きな対立の中で民族や宗教のちがいによる争いがおさえられていたが、冷戦のあとにそれが地域紛争としておこったから。
標準グローバル化が進むと、国々の協力が必要になったのはなぜですか。「1つの国」の語を使って書きなさい。
「グローバル化で必要になったこと」の説明で確かめます。
答え:環境・テロ・感染症のように、1つの国だけでは解決できない問題がふえたから。
冷戦が終わったころ、日本の政治と経済はどう変わった? バブル経済と55年体制の終わり
📄 プリント②(高度経済成長と現代)9ページ
答え:1980年代後半のバブル経済は1991年ごろに崩壊し、長い不況に入りました。1993年には自由民主党以外の政党による連立内閣(細川護熙内閣)ができ、1955年から続いた55年体制が終わりました。
バブル経済:1980年代後半、株式や土地の値段が、実際の価値以上に上がったこと(泡のようにふくらんだ好景気)です。1991年ごろに崩壊してはじけ、そのあとは長い不況になり、会社の倒産や失業がふえました。
55年体制の終わり:55年体制は、自由民主党が政権をとり続け、社会党が野党第一党となる政治の形でした。1993年、自由民主党以外の政党が連立内閣(いくつかの政党が協力してつくる内閣)をつくり(細川護熙内閣)、1955年から続いた55年体制が終わりました。
覚え方:「91ごろバブルがはじけ、93 55年体制が終わる」。
まちがえやすい
✕ 55年体制は、1955年に終わった → ◯ 1955年に始まり、1993年に終わった
基本バブル経済が崩壊したあと、日本の経済はどうなりましたか。
バブル経済の説明で確かめます。
答え:長い不況が続き、会社の倒産や失業がふえた。
標準55年体制は、何年間続きましたか。
1955年に始まり、1993年に終わりました。年の差:1993−1955=38(年)
答え:38年間
標準1993年にできた連立内閣の首相はだれですか。また、連立内閣とはどんな内閣ですか。
55年体制の終わりの説明で確かめます。
答え:細川護熙。いくつかの政党が協力してつくる内閣。
冷戦後の日本は、世界やまわりの国々とどう関わってきた? PKOと近隣の国々との課題
📄 プリント②(高度経済成長と現代)10ページ
答え:1991年の湾岸戦争で日本の国際貢献のあり方が議論になり、1992年にPKO協力法ができ、自衛隊が初めてPKOに参加してカンボジアへ派遣されました。近隣の国々との間には、拉致問題・北方領土・竹島・尖閣諸島などの課題が今もあります。
- 1991年 湾岸戦争で、日本はお金を出したが人を送らず、国際貢献(国際社会のために役立つこと)のあり方が議論になる
- 1992年 PKO協力法(国連の活動に、日本が協力できるようにした法律)ができる
- 1992年 自衛隊が初めてPKO(国連平和維持活動)に参加し、カンボジアへ派遣される
自衛隊は、警察予備隊(1950年)が保安隊をへて、1954年に発足した組織です。PKO(国連平和維持活動)は、国際連合が、争いの終わった地域で、停戦を見守ったり、復興を助けたりする活動です。
| 課題 | どんな問題か | 今 |
|---|---|---|
| 拉致問題 | 北朝鮮が、日本人を連れ去った。2002年、北朝鮮が拉致を認め、一部の人が帰国した | まだ解決していない |
| 北方領土 | 北海道の東の4島。ロシアが不法に占拠している | 日本は返還を求めている |
| 竹島 | 韓国が不法に占拠している | 日本の領土であり、日本政府は解決を求めている |
| 尖閣諸島 | 日本が有効に支配している | 解決しなければならない領有権の問題は存在しない |
領土の3つの行は、日本政府の立場です。領土をめぐる問題は、公民でくわしく学びます。
まちがえやすい
✕ PKO は、日本がつくった活動 → ◯ 国際連合の活動(日本は、PKO協力法で参加できるようになった)
基本PKO(国連平和維持活動)は、争いの終わった地域で、どんなことをする活動ですか。
PKOの説明で確かめます。
答え:停戦を見守ったり、復興を助けたりする。
標準1991年の湾岸戦争のあと、日本で国際貢献のあり方が議論になったのはなぜですか。「お金」「人」の2つの語を使って書きなさい。
国際貢献の流れの1つ目の項目で確かめます。
答え:日本は、お金を出したが人を送らなかったから。
標準尖閣諸島について、日本政府の立場を答えなさい。
近隣の国々との課題の表の最後の行で確かめます。
答え:日本が有効に支配しており、解決しなければならない領有権の問題は存在しない。
これからの日本は、どんな課題に向き合い、どんな社会をめざす? 災害・環境・SDGs
📄 プリント②(高度経済成長と現代)11ページ
答え:1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災から学び、日本は少子高齢化・エネルギー・地球の環境などの課題に向き合っています。将来の世代も豊かにくらせる持続可能な社会をめざし、2015年に国際連合がSDGsを採択しました。
- 1995年1月 阪神・淡路大震災(兵庫県南部を中心におこった。多くの人がボランティアとして活動した)
- 2011年3月 東日本大震災(大きな津波がおこった。福島第一原子力発電所の事故もおきた)
自然災害伝承碑は、昔の災害のようすや教えを、後の人に伝える石碑です。津波の来た高さなどが刻まれています。昔の人の教えを、今の防災に生かします。
| 課題 | 内容 |
|---|---|
| 少子高齢化 | 子どもの数が減り、高齢者の割合が高くなること(公民でくわしく学ぶ) |
| エネルギー | 原子力発電の安全と、太陽光や風力などの再生可能エネルギーをどう使うか |
| 地球の環境 | 公害から、地球規模の問題まで。法律や取り決めが広がった |
| 年 | 法律・取り決め | 中身 |
|---|---|---|
| 1967年 | 公害対策基本法 | 公害を防ぐための、基本となる法律 |
| 1993年 | 環境基本法 | 公害だけでなく、地球の環境の問題まで対策を広げた法律 |
| 2015年 | パリ協定 | 地球温暖化を防ぐための国際的な取り決め。どの国も、温室効果ガス(二酸化炭素など、地球をあたためる気体)を減らす目標を自分で決める |
持続可能な社会:将来の世代も豊かにくらせるよう、環境・経済・社会の課題をあわせて解決していく社会です。2015年、国際連合はSDGs(持続可能な開発目標)を採択しました。2030年までに達成をめざす17の目標です。
まちがえやすい
✕ 持続可能な社会は、環境だけを守る社会 → ◯ 環境・経済・社会の課題をあわせて解決する
基本2011年3月におこった、大きな津波をともなった災害を何といいますか。
大きな災害の説明で確かめます。
答え:東日本大震災
標準1993年の環境基本法は、1967年の公害対策基本法とくらべて、対策をどう広げた法律ですか。
環境の法律の表で確かめます。
答え:公害だけでなく、地球の環境の問題まで対策を広げた。
標準持続可能な社会は、どんな3つの課題をあわせて解決していく社会ですか。
持続可能な社会の説明で確かめます。
答え:環境・経済・社会
日本は、なぜ冷戦の中で経済成長でき、戦後をどう歩んできた?
📄 プリント②(高度経済成長と現代)12ページ
答え:朝鮮戦争の特需で産業が立ち直った日本は、アメリカとの関係を重視して西側の国々と貿易をし、安い石油や新しい技術、都市へ移った働き手によって、1950年代後半から経済が急に成長しました。一方で過密・過疎や公害がおこり、石油危機で成長が終わりました。1989年に冷戦が終わると、バブル経済の崩壊や55年体制の終わりなど、新しい課題に向き合い、持続可能な社会をめざしています。
| 見方 | 冷戦の中で日本が高い経済成長をできたわけ |
|---|---|
| 産業の立ち直り | 朝鮮戦争の特需で産業が立ち直った |
| 貿易 | アメリカとの関係を重視し、西側の資本主義国と貿易ができた |
| エネルギー | 中東などから安い石油を大量に買えた |
| 技術 | 新しい技術をとり入れ、重化学工業が発展した |
| 働き手 | 農村から都市へ移った若い人が、工場などの働き手になった |
| 占領と改革・独立(1945〜1950年代前半) | 高度経済成長(1950年代後半〜1973年) | 石油危機のあと・冷戦後(1973年〜今) | |
|---|---|---|---|
| 世界の動き | 冷戦が始まり、朝鮮戦争がおこる | 冷戦が続く | 1989年に冷戦が終わり、グローバル化が進む。地域紛争やテロがおこる |
| 日本の政治 | 占領のもとで民主化が進み、日本国憲法ができる。独立を回復する | 自由民主党が政権をとり続ける(55年体制) | 1993年に55年体制が終わる。PKOに参加し、近隣の国々との課題が続く |
| 経済とくらし | 苦しいくらしから、特需景気で立ち直る | 高度経済成長。家庭電化製品が広まる一方で、過密・過疎と公害がおこる | 石油危機で成長が終わり、貿易摩擦。バブル経済とその崩壊。持続可能な社会をめざす |
まちがえやすい
✕ 高度経済成長は、国内の努力だけで起こった → ◯ 朝鮮戦争の特需・西側との貿易・中東の安い石油など、冷戦の中での世界とのつながりが支えた
基本3つの時期の表で、1973年以降に日本の経済が経験したことを、2つ答えなさい。
表の「経済とくらし」の行の、右の列で確かめます。
答え:例)石油危機で成長が終わったこと、貿易摩擦、バブル経済とその崩壊(のうち2つ)
標準次のできごとは、3つの時期のどれにあたりますか。ア 家庭電化製品が広まる イ 特需景気で立ち直る ウ バブル経済が崩壊する
表の「経済とくらし」の行を、時期ごとに見ます。
答え:ア=高度経済成長(1950年代後半〜1973年)、イ=占領と改革・独立(1945〜1950年代前半)、ウ=石油危機のあと・冷戦後(1973年〜今)
標準くま手チャートの「貿易」と「働き手」の見方で、日本が高い経済成長をできたわけを、それぞれ答えなさい。
くま手チャートの表の「貿易」「働き手」の行で確かめます。
答え:貿易=アメリカとの関係を重視し、西側の資本主義国と貿易ができた。働き手=農村から都市へ移った若い人が、工場などの働き手になった。
✅ 一問一答で総チェック(20問)
問題を読んで、答えを頭の中で言ってからタップしましょう。答えが出ます。
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敗戦後の日本で、占領を進めた連合国軍最高司令官総司令部の略称を何といいますか。
答え:GHQ
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GHQの最高司令官を務めた人物はだれですか。
答え:マッカーサー
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戦争を進めた指導者たちを1946年から東京で裁いた裁判を何といいますか。
答え:極東国際軍事裁判
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北海道の東にあり、ソ連に占領されて今も日本が返還を求めている島々を何といいますか。
答え:北方領土
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1945年12月の選挙法の改正で、選挙権を持つことになった人はどんな人ですか。
答え:満20歳以上の男女
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1946年から進められ、小作人が自分の土地を耕す自作農になった改革を何といいますか。
答え:農地改革
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1946年11月3日に公布された、国民主権などを定めた憲法を何といいますか。
答え:日本国憲法
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アメリカ中心の西側とソ連中心の東側が、直接戦わずに軍備を競って対立したことを何といいますか。
答え:冷戦
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1950年に朝鮮戦争が始まると、GHQの指令で日本につくられた組織は何ですか。
答え:警察予備隊
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1951年に吉田茂首相が結び、翌年日本が独立を回復する条約を何といいますか。
答え:サンフランシスコ平和条約
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独立後もアメリカ軍が日本に駐留し、基地を使うことを認めた、平和条約と同じ日の条約を何といいますか。
答え:日米安全保障条約
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1955年から1993年まで続いた、自民党が政権をにぎり社会党が野党第一党の政治のしくみを何といいますか。
答え:55年体制
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1956年に鳩山一郎首相が調印し、ソ連との国交を回復した文書を何といいますか。
答え:日ソ共同宣言
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1972年5月15日に日本に返還された、アメリカの統治が続いていた県はどこですか。
答え:沖縄
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1950年代後半から1973年ごろまで、日本の経済が年平均でおよそ10%の速さで成長し続けたことを何といいますか。
答え:高度経済成長
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人が集まりすぎて住宅が足りなくなったり、道路が渋滞したりする都市の問題を何といいますか。
答え:過密
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1973年に中東の戦争をきっかけに石油の価格が大きく上がり、日本の経済が打撃を受けたできごとを何といいますか。
答え:石油危機
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1989年にこわされた、東西のベルリンを分けていた物を何といいますか。
答え:ベルリンの壁
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1980年代後半に、株式や土地の値段が実際の価値以上に上がった好景気を何といいますか。
答え:バブル経済
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2015年に国際連合が採択した、2030年までに達成をめざす17の目標を何といいますか。
答え:SDGs
まとめ
1945年の敗戦のあと、日本は連合国軍に占領され、GHQのもとで間接統治が行われました。軍隊の解散や東京裁判などの非軍事化と、選挙・財閥解体・農地改革・労働の改革が進み、1946年に公布された日本国憲法で、主権が国民に移りました。冷戦が始まると、アメリカが日本を西側の一員として強くしようと考え、1950年の朝鮮戦争で特需景気が起こりました。1951年にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を結び、1952年に独立を回復しました。1955年に55年体制が始まり、1956年に日ソ共同宣言で国交を回復して国際連合に加盟しました。1965年に日韓基本条約、1972年に沖縄の返還と日中共同声明、1978年に日中平和友好条約と、近くの国々との国交も結びました。1950年代後半から1973年ごろまでの高度経済成長で、日本は世界第2位の経済になりましたが、過密・過疎と公害、石油危機もありました。1989年に冷戦が終わり、1991年のバブル崩壊、1993年の55年体制の終わり、1992年のPKO参加、2011年の東日本大震災を経て、日本は持続可能な社会をめざしています。プリントの確認問題で、年号の順と記述を手を動かして練習してみてください。
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▶ ① 戦後改革と国際社会への復帰 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ

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