中3社会(歴史)の「世界恐慌と第二次世界大戦」を、図と例題で1つずつ確かめるページです。1929年の世界恐慌から、満州事変・日中戦争、1939年の第二次世界大戦の始まり、1945年の降伏までの流れを、年号とともに学びます。どの見出しも「答え → 理由 → 例題」の順に書いています。紙に書いて練習したい人は、下の無料プリントを使ってください。
⏱ 30秒でわかる この単元の要点
- 1929年、アメリカのニューヨークの株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が起こり、各国は自分の国の利益を優先した
- 日本は昭和恐慌で政党への不信が高まり、1931年の柳条湖事件から満州事変、1937年の盧溝橋事件から日中戦争へ進んだ
- 五・一五事件で政党内閣の時代が終わり、二・二六事件の後に軍部は発言力を強めた
- 1939年、ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まり、1941年に日本は太平洋戦争を始めた
- 1945年、広島・長崎への原子爆弾とソ連の参戦の後、日本はポツダム宣言を受け入れ、9月2日に降伏文書に署名した
つまずき注意:1941年の太平洋戦争の前に、日本は満州事変・日中戦争で中国との戦いを進めていた。第二次世界大戦は、日本の真珠湾攻撃ではなく、1939年のドイツのポーランド侵攻で始まった。
この前の1914年から1925年までの流れは、中3社会「第一次世界大戦と日本」で解説しています。
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▶ ① 世界恐慌と日本の中国侵略 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ
▶ ② 第二次世界大戦と日本 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ。この記事の見出しごとに、対応するプリントとページを書いています。
- 世界恐慌から降伏まで、日本と世界に何が起こった? 単元の全体像
- アメリカで始まった不景気は、なぜ世界に広がった? 世界恐慌
- 世界恐慌に、各国はどう立ち向かった? ニューディール・ブロック経済・五か年計画
- ファシズムとは、どんな政治? イタリアのムッソリーニとドイツのヒトラー
- 日本の不景気は、なぜ政党への不信につながった? 昭和恐慌とロンドン海軍軍縮条約
- 日本は、なぜ満州で軍事行動を起こした? 柳条湖事件から満州国・国際連盟の脱退まで
- 軍部は、どのように政治の力をにぎった? 五・一五事件と二・二六事件
- 日中戦争は、どのように始まり、なぜ続いた? 盧溝橋事件から南京の占領まで
- 柳条湖事件と盧溝橋事件は、どうちがう?
- 戦争が長引くと、国民のくらしはどう変わった? 国家総動員法・大政翼賛会・皇民化政策
- 日本は、なぜ中国との戦争に向かった? ステップチャートで流れをつなぐ
- 第二次世界大戦は、どのように始まった? 独ソ不可侵条約とポーランド侵攻
- 戦争は、なぜ世界中に広がった? 枢軸国と連合国
- 日本は、なぜ東南アジアへ軍を進め、太平洋戦争になった?
- 戦争は、国民や植民地・占領地の人々のくらしをどう変えた?
- 戦争は、どのように日本の本土にせまり、終わった? 空襲・沖縄戦・原爆・降伏
- 第二次世界大戦は、なぜ起き、何をもたらした? 原因・第一次世界大戦とのちがい
- まとめ
世界恐慌から降伏まで、日本と世界に何が起こった? 単元の全体像
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)1ページ/プリント②(第二次世界大戦)1ページ
答え:1929年にアメリカから始まった世界恐慌(大不景気)が世界に広がり、各国は自分の国を守ることを優先しました。日本では政党への不信が高まって軍部(陸軍や海軍の指導者たち)が力を強め、満州事変・日中戦争と中国への侵略が進みました。1939年にドイツの侵略でヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、日本も1941年にアメリカ・イギリスとの戦争を始めて、1945年に降伏しました。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1927年 | 金融恐慌 | 1937年 | 日中戦争が始まる |
| 1929年 | 世界恐慌が始まる | 1938年 | 国家総動員法 |
| 1930年 | ロンドン海軍軍縮条約・昭和恐慌 | 1939年 | 第二次世界大戦が始まる |
| 1931年 | 満州事変 | 1940年 | 日独伊三国同盟・大政翼賛会 |
| 1932年 | 満州国・五・一五事件 | 1941年 | 太平洋戦争が始まる |
| 1933年 | ナチスが政権をにぎる・日本が国際連盟の脱退を通告 | 1945年 | 原子爆弾の投下・ポツダム宣言を受け入れる・降伏 |
| 1936年 | 二・二六事件 |
理由:前の単元(第一次世界大戦と日本)では、大戦の後に国際協調が進み、日本でも政党内閣の時代が来たことを学びました。この記事は、1927年から1945年までを学びます。見出しは、世界恐慌と各国の対策 → ファシズム → 昭和恐慌と政党への不信 → 満州事変と軍部 → 日中戦争と戦時体制 → 第二次世界大戦の始まりと広がり → 太平洋戦争 → 戦時下の人々 → 戦争の終結 → 原因とまとめ、の順に進みます。
世紀の数え方:19世紀は1801〜1900年、20世紀は1901〜2000年です。
まちがえやすい
✕ 日本が戦争を始めたのは、1941年の太平洋戦争からで、それまでは戦っていなかった → ◯ 1931年の満州事変、1937年の日中戦争と、中国との戦いが先に進み、太平洋戦争は日中戦争が続いたまま始まった
基本世界恐慌が始まった1929年と、日本が降伏した1945年は、それぞれ何世紀のできごとですか。
20世紀は1901〜2000年です。1929年も1945年も、この範囲に入ります。
答え:どちらも20世紀
標準日中戦争が始まった年から、日本が降伏した年まで、何年たちましたか。
年表から、日中戦争は1937年、降伏は1945年です。年の差:1945−1937=8(年)
答え:8年
アメリカで始まった不景気は、なぜ世界に広がった? 世界恐慌
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)2ページ
答え:1929年10月、アメリカのニューヨークの株式市場で、会社の株の値段(株価)が一気に大きく下がりました(株価の大暴落)。これをきっかけに不景気が世界中に広がったことを世界恐慌といいます。
恐慌:経済が急に大きく混乱し、会社の倒産や失業者(仕事を失った人)が急に増えることです。
- 株価の大暴落(ニューヨーク)
- 銀行や会社が、次々に倒れる
- 失業者があふれ、物が売れない
- アメリカが、外国からの輸入やお金の貸し出しを減らす
- ヨーロッパ・日本などにも不景気が広がる
第一次世界大戦の後、アメリカは世界一の経済の国になり、ヨーロッパの国々にお金を貸したり、商品を売ったりしていました。そのため、アメリカの不景気は、お金を借りたり商品を売ったりしていた国々に広がりました。
株価が下がると、なぜ会社が倒れる?:株は、会社にお金を出した人がもつ証明書のような物です。株価が大きく下がると、株をもっていた人や、そのお金を貸していた銀行が大きな損をします。損をした銀行は、会社にお金を貸せなくなります。お金が足りなくなった会社は、仕事を続けられずに倒れます。会社が倒れると仕事を失う人が増え、人々は物を買わなくなるので、さらに会社が倒れていきます。
覚え方:「1929、ニューヨークから世界へ」。
まちがえやすい
✕ 世界恐慌は、ヨーロッパの国どうしの戦争がきっかけで始まった → ◯ 1929年、アメリカのニューヨークで株価が大暴落したことから始まった
基本経済が急に大きく混乱し、会社の倒産や失業者が急に増えることを何といいますか。
恐慌の説明で確かめます。
答え:恐慌
標準株価が大きく下がると、銀行が会社にお金を貸せなくなるのはなぜですか。「損」の語を使って書きなさい。
「株価が下がると、なぜ会社が倒れる?」の説明の流れで確かめます。
答え:株をもっていた人や、そのお金を貸していた銀行が大きな損をするから。
世界恐慌に、各国はどう立ち向かった? ニューディール・ブロック経済・五か年計画
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)3ページ
答え:アメリカはニューディール、イギリス・フランスはブロック経済、ソ連は五か年計画で立ち向かいました。各国は自分の国の利益を優先したので、国際協調の流れがとだえました。
| 国 | 指導者 | 対策 |
|---|---|---|
| アメリカ | ローズベルト | ニューディール(公共事業・生産の調整・労働組合の保護) |
| イギリス・フランス | ― | ブロック経済(本国と植民地の貿易・高い関税) |
| ソ連 | スターリン | 五か年計画(計画経済) |
ニューディール(新規まき直し):1933年からローズベルト大統領が進めた政策です。公共事業(国や県がお金を出して道路やダムなどをつくる仕事)をおこして失業者に仕事をあたえ、農業や工業の生産を調整し、労働組合を保護しました。
ブロック経済:本国と植民地の間の貿易を強め、ほかの国の商品には高い関税(輸入品にかける税)をかけて締め出す政策です。
五か年計画:スターリンの指導で1928年から進めた、国が計画を立てて重工業をおこし、農業を集団化する計画経済です。ソ連は世界恐慌の影響をほとんど受けず、国力をのばしました。一方、スターリンは反対する人々をきびしくおさえる独裁を行いました。
植民地の少ないドイツ・イタリア・日本は、ブロック経済で商品を売る先がせまくなり、新しい領土を求めるようになりました。
覚え方:「アメリカは公共事業、英仏はブロック、ソ連は計画」。
まちがえやすい
✕ 世界恐慌の後、国々は協力して貿易を広げ、不景気をのりこえた → ◯ 各国は自分の国の利益を優先し、国際協調の流れがとだえた
基本イギリス・フランスがブロック経済で、ほかの国の商品にかけたのは何ですか。
ブロック経済の説明で確かめます。
答え:高い関税
標準国のお金で道路をつくる公共事業をおこすと、失業者が減るのはなぜですか。「給料」「買い物」の2つの語を使って書きなさい。
ニューディールの公共事業のしくみで確かめます。仕事を失っていた人が工事で働くと、給料を得ます。
答え:仕事を失っていた人が工事で働いて給料を得て、その給料で買い物をするので、店や工場の仕事も増えるから。
ファシズムとは、どんな政治? イタリアのムッソリーニとドイツのヒトラー
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)4・5ページ
答え:ファシズムは、民主主義や自由主義を否定し、一つの政党や指導者が、言論や思想の自由をうばって国民を強くまとめ、国の力を強めようとする独裁的な政治です。イタリアでは1922年にムッソリーニのファシスト党が、ドイツでは1933年にヒトラーのナチスが政権をにぎりました。
| 民主主義 | ファシズム | |
|---|---|---|
| 政党 | いくつもの政党が、たがいに競い合う | 一つの政党や指導者に力が集まり、ほかの政党は禁止される |
| 言論や思想の自由 | 認められている | うばわれる |
| 個人と国 | 一人ひとりの自由や権利を大切にする | 国民を強くまとめ、国の力を強めることを優先する |
世界恐慌で生活が苦しくなると、人々の不満が高まり、「強い指導者に国をまとめてほしい」と考える人が増えた国がありました。植民地の少ないドイツ・イタリア・日本は、ブロック経済で商品を売る先がせまくなっていました。「ファシズム」という名前は、イタリアのファシスト党の名前に由来します。
ナチスが政権をにぎった流れ:
- ベルサイユ条約で、ドイツは多額の賠償金(戦争の損害のつぐないとして払うお金)を支払うことになった
- 世界恐慌で、ドイツでも失業者が増えた
- 国民の不満が高まった
- ヒトラーのひきいるナチスが、国民の支持を集めた
- 1933年、ナチスが政権をにぎった
ナチスは、ほかの政党を禁止して言論の自由をうばい、共産主義者を弾圧し、ユダヤ人を迫害しました。経済では公共事業と軍需産業で失業者を減らし、外交では1933年に国際連盟を脱退し、ベルサイユ条約を破棄して軍備を拡張しました。
| イタリア | ドイツ | |
|---|---|---|
| 指導者 | ムッソリーニ | ヒトラー |
| 政党 | ファシスト党 | ナチス |
| 政権をにぎった年 | 1922年 | 1933年 |
| 行ったこと | 独裁。1935年にエチオピアを侵略 | 独裁。ユダヤ人の迫害。軍備の拡張 |
覚え方:「自由をうばって、国を強く」「不満を集めて、ヒトラーの独裁」。
まちがえやすい
✕ ナチスは、武力で議会をたおして政権をにぎった → ◯ 世界恐慌の後の選挙で国民の支持を集め、政権をにぎってから独裁を行った
基本ヒトラーがひきいて、1933年に政権をにぎった党を何といいますか。
イタリアとドイツをくらべた表の「政党」の行で確かめます。
答え:ナチス
標準イタリアでファシスト党が政権をにぎった年から、ドイツでナチスが政権をにぎった年まで、何年たちましたか。
表から、イタリアは1922年、ドイツは1933年です。年の差:1933−1922=11(年)
答え:11年
標準ナチスは、経済では何によって失業者を減らしましたか。また、民主主義とちがい、言論の自由はどうなりましたか。
ナチスがしたことの説明と、民主主義とファシズムをくらべた表で確かめます。
答え:公共事業と軍需産業によって減らした。言論の自由はうばわれた。
日本の不景気は、なぜ政党への不信につながった? 昭和恐慌とロンドン海軍軍縮条約
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)6・7ページ
答え:日本は1927年の金融恐慌に続き、1930年に世界恐慌が及んで昭和恐慌になり、農村も都市もくらしが苦しくなりました。政党は財閥と結びつき、汚職の事件も起きていたので、国民は政党を信じなくなりました。
金融恐慌:1927年、銀行の経営が不安になり、預金を引き出そうとする人がおしかけ、休業や倒産をする銀行が相次いだ混乱です。中小の銀行がつぶれ、財閥の大銀行に預金が集まりました。
昭和恐慌:1930年、世界恐慌が日本にも及んで起こった、深刻な不景気です。生糸は、蚕のまゆからつくる絹の糸で、当時の日本の最大の輸出品でした。その多くがアメリカ向けだったので、アメリカが不景気になると売れなくなりました。
| 農村 | 都市 | |
|---|---|---|
| 起こったこと | アメリカ向けの生糸の輸出が大きく減り、生糸の値段が下がる。米などの農産物の値段も下がる | 会社の倒産が相次ぐ |
| くらし | 農家の収入が減る。東北地方などでは凶作も重なり、食べ物にも困る家が増える | 仕事を失う人(失業者)が増える |
| 争議 | 小作争議が増える(小作人が、地主に小作料の引き下げなどを求める争い) | 労働争議が増える(働く人が、会社に賃金などを求める争い) |
政党への不信:不景気が続いても、政党は有効な手を打てませんでした。当時は政党内閣の時代(1924〜1932年)でしたが、政党は財閥と結びつき、汚職(政治家や役人が、地位を使ってお金をもらうなどの不正をはたらくこと)の事件も起きていました。
ロンドン海軍軍縮条約と統帥権:
- 1930年、浜口雄幸内閣(立憲民政党)が、軍艦の保有量を制限するロンドン海軍軍縮条約に調印した
- 軍部や国家主義の人々が、「軍隊を指揮する天皇の権限を、政府が勝手に決めて犯した」と批判した
- 浜口首相が、東京駅でおそわれて重いけがをした
統帥権:軍隊を指揮する、天皇がもつ権限です。浜口首相は翌年に辞めました。この条約では、主力艦より小さい補助艦(巡洋艦や駆逐艦など)の保有量が制限されました。
中国の統一:蒋介石の中国国民党は、1927年に南京に国民政府をつくり、国内の統一を進めました。そして、日本などがもつ権益(特別な権利)を取りもどそうとしました。日本が満州にもつ権益が危うくなると考えた軍部は、危機感を強めました。
覚え方:「生糸も米も安くなり、村が苦しむ」「軍縮に反対、統帥権」。
まちがえやすい
✕ 昭和恐慌では、米の値段が上がりすぎて、米騒動が起こった → ◯ 米騒動は1918年。昭和恐慌では、生糸や米などの値段が下がり、農家の生活が苦しくなった
基本1930年に、世界恐慌が日本にも及んで起こった深刻な不景気を何といいますか。
昭和恐慌の説明で確かめます。
答え:昭和恐慌
標準アメリカが不景気になると、日本の生糸の値段が下がったのはなぜですか。「輸出」「アメリカ」の2つの語を使って書きなさい。
生糸の説明で確かめます。生糸は当時の日本の最大の輸出品でした。
答え:生糸の多くがアメリカ向けの輸出だったので、アメリカが不景気になると売れなくなったから。
標準軍部や国家主義の人々が、ロンドン海軍軍縮条約を批判したのはなぜですか。「統帥権」の語を使って書きなさい。
ロンドン海軍軍縮条約と統帥権の説明の2つ目の項目で確かめます。
答え:軍隊を指揮する天皇の権限(統帥権)を、政府が勝手に決めて犯したと考えたから。
日本は、なぜ満州で軍事行動を起こした? 柳条湖事件から満州国・国際連盟の脱退まで
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)8ページ
答え:1931年9月、関東軍が奉天(今の瀋陽)の近くの柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、中国軍のしわざとして軍事行動を始めました(満州事変)。満州の大部分を占領し、1932年に満州国をつくりましたが、国際連盟が認めなかったので、日本は1933年に国際連盟からの脱退を通告し、孤立していきました。
満州:中国の東北部で、日露戦争の後に日本が南満州鉄道などの権益を得た地域です。石炭や鉄などの資源が豊かで、「日本の生命線」と主張する人々もいました。日本の陸軍の関東軍が置かれ、不景気の中、軍部は、満州の資源を手に入れれば不景気をのりこえられると考えました。
- 1931年9月 関東軍が、奉天の近くの柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破した
- 中国軍のしわざとして軍事行動を始め、満州の大部分を占領した
- 1932年 清の最後の皇帝だった溥儀を元首として、満州国をつくった
| 名前 | 中身 |
|---|---|
| 満州事変 | 1931年9月の柳条湖での線路の爆破をきっかけに、日本軍が満州の大部分を占領した軍事行動 |
| 満州国 | 1932年に日本が満州につくった国。実際の政治は日本の軍部がにぎった |
国際連盟の勧告と脱退:
- 中国が、日本の行動を国際連盟に訴えた
- 国際連盟が、リットン調査団を送った
- 1933年、報告をもとに、満州国を認めず、日本軍の占領地からの引きあげを求める勧告を採択した
- 日本は、国際連盟からの脱退を通告し、国際的に孤立していった(同じ1933年にドイツも脱退)
覚え方:「柳条湖から満州国、そして連盟脱退」。
まちがえやすい
✕ 国際連盟は、リットン調査団の報告をもとに、満州国の独立を認めた → ◯ 満州国を認めず、日本軍の引きあげを求める勧告をした
基本1931年9月に、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した場所はどこですか。
満州事変の流れの1つ目の項目で確かめます。
答え:柳条湖(奉天の近く)
標準日本の軍部が、満州を手に入れようとしたのはなぜですか。「資源」「不景気」の2つの語を使って書きなさい。
「満州」の説明で確かめます。
答え:満州は石炭や鉄などの資源が豊かで、手に入れれば不景気をのりこえられると考えたから。
標準1933年、国際連盟がリットン調査団の報告をもとに採択した勧告の中身と、それに対する日本の対応を答えなさい。
国際連盟の勧告と脱退の流れの3つ目・4つ目の項目で確かめます。
答え:勧告=満州国を認めず、日本軍の占領地からの引きあげを求めた。日本の対応=国際連盟からの脱退を通告した。
軍部は、どのように政治の力をにぎった? 五・一五事件と二・二六事件
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)9ページ
答え:1932年の五・一五事件で犬養毅首相が暗殺されて政党内閣の時代が終わり、1936年の二・二六事件の後、軍部は政治への発言力をいっそう強めました。
| 五・一五事件 | 二・二六事件 | |
|---|---|---|
| 年 | 1932年 | 1936年 |
| だれが | 海軍の青年将校ら | 陸軍の青年将校ら |
| 何をした | 首相官邸をおそい、犬養毅首相を暗殺した | 兵をひきいて大臣などを殺傷し、東京の中心部を占拠した |
| その後 | 政党の党首が首相になる政党内閣の時代が終わり、軍人などが首相になる内閣が続いた | 軍部は、政治への発言力をいっそう強めた |
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1912〜13年 | 護憲運動 | 1930年 | ロンドン海軍軍縮条約 |
| 1918年 | 原敬の政党内閣 | 1931年 | 満州事変 |
| 1924年 | 政党内閣の時代が始まる | 1932年 | 政党内閣の時代が終わる(五・一五事件) |
| 1936年 | 二・二六事件 |
経済では、軍需産業と重化学工業がのび、日本はほかの国より早く不景気からぬけ出しました。
覚え方:「5・15で政党内閣が終わり、2・26で軍部が強まる」。
まちがえやすい
✕ 二・二六事件の後、政党内閣が復活し、軍部の力は弱まった → ◯ 軍部は政治への発言力をいっそう強めた
基本二・二六事件を起こしたのは、陸軍と海軍のどちらの青年将校らですか。
2つの事件をくらべた表の「だれが」の行で確かめます。
答え:陸軍
標準日本が、ほかの国より早く不景気からぬけ出せたのは、どんな産業がのびたからですか。
表の下の経済の説明で確かめます。
答え:軍需産業と重化学工業
日中戦争は、どのように始まり、なぜ続いた? 盧溝橋事件から南京の占領まで
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)10ページ
答え:1937年7月、北京の郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し(盧溝橋事件)、日中戦争が始まりました。12月に日本軍は首都の南京を占領しましたが、国民政府は重慶に移って抵抗を続け、戦争は長引きました。
中国の変化:中国では、蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党が内戦をしていました。しかし日本の侵略に対して内戦をやめ、1937年に協力して日本と戦う体制(抗日民族統一戦線)をつくりました。
- 1937年7月 北京の郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍が衝突した(盧溝橋事件)
- 日中戦争が始まり、戦争は中国の中部・南部に広がった
- 12月 日本軍は首都の南京を占領した
- 国民政府は、首都を内陸の重慶に移して抵抗を続けた
- アメリカやイギリスなどが、中国を援助した
- 戦争は長引いた
南京を占領した日本軍は、その中で、捕虜や女性・子どもをふくむ多くの中国人を殺害しました(南京事件)。
覚え方:「盧溝橋から日中戦争、重慶で抵抗」。
まちがえやすい
✕ 日本軍が南京を占領すると、中国の国民政府は降伏し、日中戦争は終わった → ◯ 国民政府は重慶に移って抵抗を続け、戦争は長引いた
基本1937年に、毛沢東の共産党と協力して日本と戦う体制をつくった、蒋介石の政党を何といいますか。
中国の変化の説明で確かめます。
答え:中国国民党(国民党)
標準1937年、中国で国民党と共産党が内戦をやめたのはなぜですか。「侵略」の語を使って書きなさい。
中国の変化の説明で確かめます。
答え:日本の侵略に対して、協力して日本と戦うため。
柳条湖事件と盧溝橋事件は、どうちがう?
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)8ページ・10ページ
答え:どちらも日本が中国で軍事行動を広げるきっかけになった事件ですが、柳条湖事件(1931年)は満州事変に、盧溝橋事件(1937年)は日中戦争につながりました。
| 柳条湖事件 | 盧溝橋事件 | |
|---|---|---|
| いつ | 1931年9月 | 1937年7月 |
| どこ | 満州。奉天(今の瀋陽)の近くの柳条湖 | 北京の郊外の盧溝橋 |
| 起こったこと | 関東軍が、南満州鉄道の線路を爆破した。中国軍のしわざとして軍事行動を始めた | 日本軍と中国軍が衝突した |
| つながった戦い | 満州事変 | 日中戦争 |
| その後 | 満州の大部分を占領し、1932年に満州国をつくった。1933年に国際連盟の脱退を通告した | 戦争が中国の中部・南部に広がり、12月に南京を占領した。国民政府は重慶に移って抵抗を続け、戦争は長引いた |
2つの事件の間には、五・一五事件(1932年)や二・二六事件(1936年)があり、その間に軍部は政治の力を強めていきました。
まちがえやすい
✕ 日中戦争は、1931年の柳条湖事件から始まった → ◯ 1931年の柳条湖事件は満州事変のきっかけ。日中戦争は、1937年の盧溝橋事件から始まった
基本盧溝橋事件が起こった場所を、「北京」の語を使って答えなさい。
表の「どこ」の行で確かめます。
答え:北京の郊外の盧溝橋
標準柳条湖事件と盧溝橋事件は、それぞれどんな戦いにつながりましたか。また、2つの事件は何年はなれていますか。
表の「つながった戦い」の行と「いつ」の行で確かめます。年の差:1937−1931=6(年)
答え:柳条湖事件=満州事変、盧溝橋事件=日中戦争。6年
戦争が長引くと、国民のくらしはどう変わった? 国家総動員法・大政翼賛会・皇民化政策
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)11ページ
答え:戦争が長引くと、政府は国民の生活を戦争のために統制しました。1938年の国家総動員法で、政府は議会の承認なしに労働力や物資を動員できるようになり、1940年には大政翼賛会がつくられました。
| 名前 | 中身 |
|---|---|
| 国家総動員法 | 1938年、政府が議会の承認なしに、戦争に必要な労働力や物資を動員できるようにした法律 |
| 大政翼賛会 | 1940年、ほとんどの政党や政治団体が解散して、一つにまとめられた組織 |
| 隣組 | 町や村につくられた、10軒ほどの家の組。配給や防空訓練を行い、たがいを見張る役目もした |
| 配給制 | 米・砂糖・マッチ・衣料などの生活必需品を、決められた量だけ、切符や通帳と引きかえに配る。「ぜいたくは敵だ」の標語が使われた |
| 皇民化政策 | 朝鮮や台湾で、日本語の使用や神社への参拝を強制するなどして進めた政策。朝鮮では、名前を日本式に改めさせる創氏改名も行われた |
覚え方:「総動員で、くらしも戦争へ」。
まちがえやすい
✕ 国家総動員法で、国会が戦争に必要な物資を一つずつ決めるようになった → ◯ 政府が議会の承認なしに、労働力や物資を動員できるようになった
基本1938年に、政府が議会の承認なしに労働力や物資を動員できるようにした法律を何といいますか。
表の1行目で確かめます。
答え:国家総動員法
標準1940年に大政翼賛会ができたことで、政党はどうなりましたか。
表の2行目で確かめます。
答え:ほとんどの政党や政治団体が解散して、一つにまとめられた。
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 日中戦争が始まる イ 五・一五事件 ウ 大政翼賛会ができる エ 国家総動員法が出される
まず年を思い出します。ア=1937年、イ=1932年、ウ=1940年、エ=1938年です。年の小さい順に並べます。
答え:イ → ア → エ → ウ
日本は、なぜ中国との戦争に向かった? ステップチャートで流れをつなぐ
📄 プリント①(世界恐慌・中国侵略)12ページ
答え:世界恐慌の後、各国が自分の国の利益を優先して国際協調がとだえ、日本では昭和恐慌で政党への不信が高まりました。その中で軍部が満州事変を起こして力を強め、日本は国際連盟を脱退して孤立し、中国との全面的な戦争に進みました。
| 段階 | できごと |
|---|---|
| ① | 世界恐慌(1929年)が起こる |
| ② | 各国が自分の国の利益を優先する(ブロック経済など)。植民地の少ない国は、新しい領土を求める |
| ③ | 日本は昭和恐慌で苦しみ、政党への不信が高まる |
| ④ | 満州事変(1931年)・満州国(1932年)。国際連盟の脱退を通告(1933年)し、孤立する |
| ⑤ | 五・一五事件・二・二六事件で、軍部の力が強まる |
| ⑥ | 日中戦争(1937年)。国家総動員法(1938年)で戦時体制へ |
歴史の流れを説明するときは、ステップチャートの段階を矢印でつなぎ、前の段階が次の段階の原因になっていることを、1つの文にします。
まちがえやすい
✕ 日本が戦争に向かったのは、軍部が力を強めたことだけが原因だった → ◯ 世界恐慌・昭和恐慌・政党への不信・国際的な孤立など、いくつもの原因がつながっていた
基本ステップチャートの④(満州事変・満州国)の次の段階で、力を強めたのはだれ(どの組織)ですか。
表の⑤で確かめます。
答え:軍部
標準ステップチャートの③と④をつなげて、「昭和恐慌」「満州事変」の2つの語を使って、1つの文で書きなさい。
③は日本の不景気と政党への不信、④は満州事変です。前の段階が次の原因になるようにつなぎます。
答え:例)昭和恐慌でくらしが苦しくなり、政党への不信が高まる中で、軍部が満州を手に入れようとして満州事変を起こした。
第二次世界大戦は、どのように始まった? 独ソ不可侵条約とポーランド侵攻
📄 プリント②(第二次世界大戦)1・2ページ
答え:1939年8月にドイツが東のソ連と独ソ不可侵条約を結び、9月1日にポーランドに侵攻しました。イギリスとフランスがドイツに宣戦して、第二次世界大戦が始まりました。
なぜドイツは、領土を広げようとした?:ナチスのドイツは、ベルサイユ条約を破棄して軍備を広げ、1938年にオーストリアを併合(ほかの国を自分の国の一部にすること)し、チェコスロバキアの一部も手に入れました。世界恐慌のあと、植民地の少ないドイツは、不景気からぬけ出すために、資源や物を売る先となる新しい領土を求めたのです。
- 8月 ドイツが、東のソ連と独ソ不可侵条約(たがいに攻めないという約束)を結ぶ。ポーランドを攻めても、ソ連と戦わずにすむ
- 9月1日 ドイツがポーランドに侵攻する
- 9月 イギリスとフランスが、ドイツに宣戦(戦争を始めると宣言すること)する。17日にはソ連もポーランドの東部に侵攻した
1940年、ドイツは、デンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギーを占領し、6月にはパリを占領して、フランスを降伏させました。イタリアもドイツの側で参戦しました。イギリスは、チャーチル首相のもとで戦い続けました。
覚え方:「条約で東を安心、そしてポーランドへ」。
まちがえやすい
✕ 第二次世界大戦は、日本の真珠湾攻撃で始まった → ◯ 1939年のドイツのポーランド侵攻で始まった(太平洋戦争は1941年)
基本1939年8月に、ドイツが独ソ不可侵条約を結んだ相手の国はどこですか。
流れの1つ目の項目で確かめます。
答え:ソ連
標準ドイツが、ポーランドに攻めこむ前に、ソ連と独ソ不可侵条約を結んだのはなぜですか。「ポーランド」の語を使って書きなさい。
流れの1つ目の項目の後半で確かめます。
答え:ポーランドを攻めても、ソ連と戦わずにすむから。
標準世界恐慌のあと、ドイツが新しい領土を求めたのはなぜですか。「植民地」「不景気」の2つの語を使って書きなさい。
「なぜドイツは、領土を広げようとした?」の説明で確かめます。
答え:植民地が少なく、不景気からぬけ出すために、資源や物を売る先となる新しい領土が必要だったから。
戦争は、なぜ世界中に広がった? 枢軸国と連合国
📄 プリント②(第二次世界大戦)3ページ
答え:1941年に、ドイツがソ連に侵攻し、日本がアメリカ・イギリスと戦争を始め、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦して、戦争は世界中に広がりました。日本・ドイツ・イタリアの枢軸国と、アメリカ・イギリス・ソ連・中国などの連合国が戦いました。
- 6月 ドイツが、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻する(独ソ戦)。ソ連は、イギリスの側で戦うことになる
- 8月 アメリカとイギリスの首脳が、大西洋憲章を発表する
- 12月 日本がアメリカ・イギリスと戦争を始め、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦する。戦争が世界中に広がる
大西洋憲章:1941年8月、アメリカのローズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が発表した、戦争の目的を示す文書です。①領土を広げない ②国の政治のあり方は、その国の人々が決める ③戦後の平和のしくみをつくる、の3つが示されました。
| 枢軸国 | 連合国 | |
|---|---|---|
| 国々 | 日本・ドイツ・イタリアなど | アメリカ・イギリス・ソ連・中国など |
| かかげたこと | 日本は「大東亜共栄圏」をつくることをかかげた | この戦争を、ファシズムに対する(民主主義を守る)戦いとした |
ドイツの占領地で起こったこと:ドイツは占領地で、ユダヤ人などを強制収容所(人々の自由をうばって集めておく施設)に送り、アウシュビッツなどで多くの人々を殺害しました。占領された国々では、ドイツに対する抵抗運動(レジスタンス)が起こりました。
覚え方:「枢軸は ドイツ・イタリア・日本」。
まちがえやすい
✕ 連合国は、領土を広げることを戦争の目的にかかげた → ◯ 大西洋憲章で、領土を広げないことを示し、ファシズムに対する戦いとした
基本1941年8月に、大西洋憲章を発表したアメリカの大統領とイギリスの首相は、それぞれだれですか。
大西洋憲章の説明で確かめます。
答え:アメリカの大統領=ローズベルト、イギリスの首相=チャーチル
標準次の国を、枢軸国と連合国に分けなさい。ソ連 イタリア 中国 日本
表の「国々」の行で確かめます。
答え:枢軸国=イタリア・日本、連合国=ソ連・中国
標準1941年12月に、戦争が世界中に広がったのはなぜですか。「アメリカ」の語を使って書きなさい。
流れの3つ目の項目で確かめます。
答え:日本がアメリカ・イギリスと戦争を始め、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦したから。
日本は、なぜ東南アジアへ軍を進め、太平洋戦争になった?
📄 プリント②(第二次世界大戦)4・5ページ
答え:日中戦争が長引く中、日本は援蒋ルートを断ち、石油やゴムなどの資源を得るために東南アジアへ軍を進めました(南進)。アメリカとの対立が深まり、1941年12月8日、日本軍がマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まりました。
援蒋ルート:アメリカ・イギリスが、蒋介石の国民政府に物資を送った道です(地図の破線)。日中戦争が長引いた理由の一つは、この助けでした。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1940年9月 | フランス領インドシナの北部に軍を進めた。南進の最初の一歩 |
| 1940年9月 | 日独伊三国同盟を結んだ。アメリカに対抗しようとし、アメリカとの関係が悪化した |
| 1941年4月 | ソ連と日ソ中立条約(たがいに攻めず、相手の戦争に加わらない約束)を結び、北方の安全を確保した |
| 1941年7月 | フランス領インドシナの南部に軍を進めた |
| 1941年8月 | アメリカが日本への石油の輸出を禁止した。イギリス・オランダも日本との貿易を制限した |
日本は、石油の多くをアメリカからの輸入にたよっていました。日本の軍部は、アメリカ(America)・イギリス(Britain)・中国(China)・オランダ(Dutch)が日本を囲んでいるとして「ABCD包囲陣」とよび、戦争で打ち破るしかないと主張しました。
- 日米交渉が続いたが、アメリカは、日本が中国とフランス領インドシナから軍を引きあげることを求め、まとまらなかった
- 1941年10月 陸軍の大将の東条英機が首相になり、戦争を決める
- 1941年12月8日 日本軍が、イギリス領のマレー半島に上陸し、ハワイの真珠湾のアメリカ軍の基地を奇襲(不意をつく攻撃)する
- 12月8日 太平洋戦争が始まる(日中戦争は続いたまま)
東南アジアの占領:日本軍は、開戦から約半年で、フィリピン・マレー半島・オランダ領東インド(今のインドネシア)・ビルマ(今のミャンマー)など、東南アジアから南太平洋にかけての広い地域を占領しました。日本は、石油・鉄鉱石・ボーキサイト(アルミニウムの原料)などを国内では少ししか産出できず、輸入にたよっていました。東南アジアには、これらの資源が多くあります。日本は「大東亜共栄圏」(欧米の植民地支配からアジアを解放し、日本を中心にアジアの国々が共に栄える、というもの)をかかげました。
1942年6月、ミッドウェー海戦で日本の海軍が敗れ、戦争の流れが変わりました。その後、アメリカ軍が反撃を強めました(ガダルカナル島など)。
まちがえやすい
✕ 太平洋戦争は、日中戦争が終わってから始まった → ◯ 日中戦争は続いたまま、アメリカ・イギリスとも戦った
基本ABCD包囲陣の「A」と「D」にあたる国は、それぞれどこですか。
A=America、D=Dutch です。
答え:A=アメリカ、D=オランダ
標準日本が東南アジアへ軍を進めた(南進した)ねらいを、2つ答えなさい。
南進の説明で確かめます。援蒋ルートと資源に注目します。
答え:援蒋ルートを断つこと、石油やゴムなどの資源を得ること。
標準アメリカが日本への石油の輸出を禁止すると、日本で石油が足りなくなるのはなぜですか。「輸入」の語を使って書きなさい。
日本の石油の入手先に注目します。
答え:日本は石油の多くをアメリカからの輸入にたよっていたから。
戦争は、国民や植民地・占領地の人々のくらしをどう変えた?
📄 プリント②(第二次世界大戦)6・7ページ
答え:戦争が長引くと、国民全体が戦争に動員され、くらしは苦しくなりました。若い人たちは勤労動員・学徒出陣・学童疎開で動員され、植民地や占領地の人々も、労働や徴兵などで戦争にまきこまれました。
国民のくらし:総力戦(国民全体と全部の産業を、戦争に注ぎこむ戦い)が長引くと、生活に必要な物が足りなくなりました。配給制の品が増え、量も減りました。鍋・釜や寺の鐘などの金属が回収され(金属の供出)、武器の材料にされました。1941年、小学校は国民学校になりました。新聞やラジオは政府の発表だけを伝え、戦いに負けても、国民に正しく知らされないことが多くありました。
| だれが | 何をしたか | なぜ |
|---|---|---|
| 中学生・女学生 | 勤労動員:授業のかわりに、軍需工場などで働いた | 戦争に必要な物をつくる働き手が足りなくなったため |
| 文科系の大学生など | 学徒出陣:1943年から、それまで兵役を猶予されていた学生が、軍隊に召集された | 戦争が長引き、兵を増やす必要があったため |
| 都市の国民学校の子ども | 学童疎開(集団疎開):1944年から、学校ごとに地方の寺や旅館などに移って暮らした | 空襲をさけるため |
朝鮮・台湾の人々:日本の植民地だった朝鮮や台湾では、皇民化政策がいっそう進められました。日本国内で男性が兵として戦場に行くと、鉱山や工場の労働力が足りなくなり、多くの朝鮮人や中国人が、意思に反して日本に連れてこられ、鉱山や工場などで、きびしい条件で働かされました。戦争の末期には、朝鮮や台湾でも徴兵制(国民に、兵として軍隊に入る義務を負わせる制度)がしかれ、若い男性が日本の兵として戦場に送られました。
東南アジアの占領地:日本は、占領した東南アジアの各地で、日本語の教育や神社への参拝をおしつけ、人々に労働をさせたり、食料や物資を取り立てたりしました。その結果、日本の支配への反感が強まり、各地で抵抗運動が起こりました。
| 日本がかかげたこと(大東亜共栄圏) | 実際 |
|---|---|
| 欧米の植民地支配から、アジアを解放する | 日本語の教育や神社への参拝をおしつけた |
| 日本を中心に、アジアの国々が共に栄える | 人々に労働をさせ、食料や物資を取り立てた |
かかげたことと実際のちがいが、抵抗運動につながりました。言葉と行いを分けて読む見方は、歴史の資料を読むときにも使えます。
覚え方:「学生は 工場へ戦場へ、子どもは地方へ」。
まちがえやすい
✕ 学徒出陣は、中学生や女学生が工場で働いたことをいう → ◯ 学徒出陣は大学生などが軍隊に入ること。中学生・女学生が工場で働いたのは勤労動員
基本授業のかわりに、中学生や女学生が軍需工場などで働いた動員を何といいますか。
表の1行目で確かめます。
答え:勤労動員
標準1943年から学徒出陣が行われたのはなぜですか。「兵」の語を使って書きなさい。
表の2行目の「なぜ」の列で確かめます。
答え:戦争が長引き、兵を増やす必要があったから。
標準日本が占領した東南アジアの各地で、抵抗運動が起こったのはなぜですか。「アジアを解放する」の言葉を使って書きなさい。
かかげたことと実際を比べた表で確かめます。
答え:日本は「アジアを解放する」とかかげたが、実際には日本語の教育や神社への参拝をおしつけ、労働や食料・物資の取り立てをして、日本の支配への反感が強まったから。
戦争は、どのように日本の本土にせまり、終わった? 空襲・沖縄戦・原爆・降伏
📄 プリント②(第二次世界大戦)8・9ページ
答え:1944年7月にサイパン島が占領されると、日本の本土が空襲を受けるようになり、1945年には沖縄戦がありました。8月に広島・長崎に原子爆弾が投下され、ソ連が参戦したあと、日本はポツダム宣言を受け入れ、9月2日に降伏文書に署名して、第二次世界大戦が終わりました。
ヨーロッパでは、1943年9月にイタリアが降伏しました。1944年6月には、連合国軍がフランス北部のノルマンディーに上陸し、ドイツへの反撃を強めました。ドイツの降伏は1945年5月です。
太平洋では、1944年7月にサイパン島がアメリカ軍に占領され、日本の本土がアメリカ軍の爆撃機のとどく範囲に入りました。そのため、1944年の終わりから、日本の都市への空襲(飛行機から爆弾を落とす攻撃)がはげしくなりました。1945年3月10日の東京大空襲では、焼夷弾(火事を起こす爆弾)で東京の下町が焼かれ、一夜で多くの人々が亡くなりました。大阪・名古屋など、全国の多くの都市が空襲を受けました。
1945年3月末にアメリカ軍が沖縄の島々に上陸し、4月1日に沖縄本島に上陸しました。住民をまきこむはげしい地上戦(沖縄戦)が約3か月続きました。中学生や女学生も、兵や看護の仕事に動員され(女学生の看護の部隊の一つがひめゆり学徒隊)、多くの住民が犠牲になりました。6月23日に、日本軍の組織的な戦いが終わりました。
| 空襲 | 沖縄戦(地上戦) | |
|---|---|---|
| 時期 | 1944年の終わりからはげしくなった | 1945年3月末〜6月23日 |
| 戦い方 | 飛行機から爆弾や焼夷弾を落とす | アメリカ軍が上陸し、陸上で戦う |
| 場所 | 東京・大阪・名古屋など、全国の多くの都市 | 沖縄の島々。住民がくらす土地が戦場になった |
ポツダム宣言:1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連の首脳がヤルタ会談を開き、ドイツの降伏後にソ連が日本と戦うことを、ひそかに決めました。5月にドイツが降伏しました。7月、アメリカ・イギリス・中国の名で、日本に無条件降伏(条件をつけずに降伏すること)を求めたポツダム宣言が発表されましたが、日本はすぐには受け入れませんでした。
- 8月6日 広島に原子爆弾(原爆)が投下される
- 8月8日 ソ連が日ソ中立条約を破って日本に宣戦する(その後、満州・朝鮮・樺太などに侵攻した)
- 8月9日 長崎に原子爆弾が投下される
- 8月14日 日本が、ポツダム宣言を受け入れることを決める
- 8月15日 昭和天皇がラジオ放送で、国民に知らせる
- 9月2日 日本が降伏文書に署名し、第二次世界大戦が終わる
原爆は、1発で都市を壊滅させ、多くの人が亡くなりました。生き残った人も、放射線による病気に長く苦しみました。
覚え方:「サイパンが落ちて、本土に空襲」「6日広島、8日ソ連、9日長崎、14日決定、15日放送」。
まちがえやすい
✕ 8月15日にポツダム宣言の受け入れを決めた → ◯ 8月14日に決め、8月15日に国民に知らせた
基本1945年8月14日と8月15日に、日本でそれぞれ何がありましたか。
8月の流れの4つ目・5つ目の項目で確かめます。
答え:14日=ポツダム宣言を受け入れることを決めた。15日=昭和天皇がラジオ放送で国民に知らせた。
標準1944年の終わりから、日本の都市への空襲がはげしくなったのはなぜですか。「サイパン島」の語を使って書きなさい。
太平洋の戦況の説明で確かめます。
答え:1944年7月にサイパン島がアメリカ軍に占領され、日本の本土がアメリカ軍の爆撃機のとどく範囲に入ったから。
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 長崎に原子爆弾が投下される イ ソ連が日本に宣戦する ウ ポツダム宣言の受け入れを決める エ 広島に原子爆弾が投下される
8月の日付で並べます。ア=8月9日、イ=8月8日、ウ=8月14日、エ=8月6日です。
答え:エ → イ → ア → ウ
第二次世界大戦は、なぜ起き、何をもたらした? 原因・第一次世界大戦とのちがい
📄 プリント②(第二次世界大戦)10〜12ページ
答え:世界恐慌から始まった各国の対立が、ドイツ・イタリア・日本の侵略につながり、第二次世界大戦になりました。空襲・地上戦・原爆で、戦場の兵士だけでなく多くの住民も犠牲になり、戦後、二度と大きな戦争をくり返さないために国際連合がつくられました。
| 第一次世界大戦 | 第二次世界大戦 | |
|---|---|---|
| 期間 | 1914〜1918年 | 1939〜1945年 |
| 始まり | サラエボ事件 | ドイツのポーランド侵攻 |
| 戦場 | 主にヨーロッパ | ヨーロッパ・アジア・太平洋・アフリカ北部 |
| 被害 | 主に戦場の兵士 | 空襲・地上戦・原爆で、多くの住民も犠牲に |
| 終わったあと | 国際連盟ができた | 国際連合がつくられた |
第二次世界大戦は、人類の歴史で最も大きな被害を出した戦争でした。日本は、中国や東南アジアなど、アジアの国々の人々に大きな被害をあたえ、日本の国民も大きな被害を受けました。
くま手チャート:「日本は、どのように戦争に突き進んだ?」という問いに、5つの見方で理由を書き出します。
| 見方 | 理由 |
|---|---|
| 世界の経済 | 世界恐慌(1929年)で不景気が広がり、各国が自分の国の利益を優先した。植民地の少ない国は、領土を求めた |
| 国内の経済 | 昭和恐慌(1930年)で、生糸や米の値段が下がり、農村が苦しくなった |
| 政治 | 政党への不信が高まり、五・一五事件(1932年)で政党内閣の時代が終わった。軍部が力を強めた |
| 外交 | 国際連盟の脱退を通告(1933年)して孤立した。日独伊三国同盟(1940年)を結び、南へ軍を進めた |
| 国民のくらし | 国家総動員法(1938年)で、政府が議会の承認なしに労働力や物資を動員できるようになった。勤労動員・学徒出陣へ |
答えを書く手順は、①歯(見方)ごとに理由を1つずつ書き出す ②歯と歯のつながり(どれがどれの原因か)を矢印で見つける ③つながりの順に、1つの文にする、です。
1920年代と1930〜1945年のちがい:
| 1920年代(大正〜昭和のはじめ) | 1930〜1945年 | |
|---|---|---|
| 政治 | 政党内閣が続き、普通選挙法(1925年)で選挙権が広がった | 五・一五事件で政党内閣の時代が終わり、軍部が力を強めた |
| 外交 | 国際協調が進み、ワシントン会議などで軍縮が行われた | 国際連盟を脱退して孤立し、日中戦争・太平洋戦争へ進んだ |
| くらし | 大衆の文化が広がった | 国家総動員法・大政翼賛会のもと、勤労動員・学徒出陣など、戦争に動員された |
この変化の大きなきっかけの一つは、世界恐慌と昭和恐慌による不景気でした。戦争の反省から、戦後の日本は平和主義を大切にするようになりました。
まちがえやすい
✕ 理由を1つだけ書く(例:軍部が力を強めたから、戦争に進んだ) → ◯ 2つ以上の見方をつなげて書く(例:昭和恐慌で農村が苦しくなり、政党への不信が高まった)
基本第二次世界大戦が終わったあと、二度と大きな戦争をくり返さないためにつくられた組織を何といいますか。
「何をもたらしたか」の説明の最後で確かめます。
答え:国際連合
標準くま手チャートの「外交」の見方で、日本がしたことを2つ答えなさい。
くま手チャートの表の「外交」の行で確かめます。
答え:国際連盟の脱退を通告(1933年)して孤立したこと、日独伊三国同盟(1940年)を結び、南へ軍を進めたこと。
標準日本の外交は、1920年代と1930〜1945年でどう変わりましたか。「国際協調」「孤立」の2つの語を使って書きなさい。
1920年代と1930〜1945年のちがいを比べた表の「外交」の行で確かめます。
答え:1920年代は国際協調が進んだが、1930年代は国際連盟を脱退して孤立し、戦争へ進んだ。
✅ 一問一答で総チェック(20問)
問題を読んで、答えを頭の中で言ってからタップしましょう。答えが出ます。
-
1929年10月に株価が大暴落し、世界恐慌が始まった、アメリカの都市はどこですか。
答え:ニューヨーク
-
アメリカでローズベルト大統領が進めた、公共事業などの政策を何といいますか。
答え:ニューディール
-
本国と植民地の間の貿易を強め、ほかの国の商品に高い関税をかける政策を何といいますか。
答え:ブロック経済
-
ソ連でスターリンの指導で進められた、国が計画を立てて重工業をおこす政策を何といいますか。
答え:五か年計画
-
イタリアで1922年に政権をにぎり、独裁を行った人物はだれですか。
答え:ムッソリーニ
-
1933年に政権をにぎり、ユダヤ人を迫害したドイツの政党は何ですか。
答え:ナチス
-
1930年に世界恐慌が日本にも及んで起こった、深刻な不景気を何といいますか。
答え:昭和恐慌
-
軍隊を指揮する、天皇がもつ権限を何といいますか。
答え:統帥権
-
1931年9月、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した場所はどこですか。
答え:柳条湖
-
1932年に日本が満州につくった国を何といいますか。
答え:満州国
-
1932年5月15日、海軍の青年将校らが犬養毅首相を暗殺した事件を何といいますか。
答え:五・一五事件
-
1937年7月、北京の郊外で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争のきっかけになった事件を何といいますか。
答え:盧溝橋事件
-
1938年に出された、政府が議会の承認なしに労働力や物資を動員できるようにした法律を何といいますか。
答え:国家総動員法
-
1939年8月、ドイツがソ連と結んだ、たがいに攻めないという約束を何といいますか。
答え:独ソ不可侵条約
-
日本・ドイツ・イタリアの側の国々を何といいますか。
答え:枢軸国
-
日本が、援蒋ルートを断ち石油やゴムなどの資源を得るために、東南アジアへ軍を進めたことを何といいますか。
答え:南進
-
1941年12月8日、日本軍が奇襲したハワイの基地はどこですか。
答え:真珠湾
-
日本を中心にアジアの国々が共に栄える、として日本がかかげたものを何といいますか。
答え:大東亜共栄圏
-
1945年7月に発表された、日本に無条件降伏を求めた宣言を何といいますか。
答え:ポツダム宣言
-
第二次世界大戦の後、二度と大きな戦争をくり返さないためにつくられた組織を何といいますか。
答え:国際連合
まとめ
1929年にアメリカから世界恐慌が始まり、各国は、アメリカのニューディール、イギリス・フランスのブロック経済、ソ連の五か年計画で立ち向かいました。自分の国の利益を優先したので国際協調はとだえ、イタリアとドイツではファシズムが広がりました。日本は1927年の金融恐慌に続いて昭和恐慌になり、政党への不信が高まりました。1931年の柳条湖事件から満州事変が起こり、1933年に国際連盟の脱退を通告して孤立しました。1932年の五・一五事件で政党内閣の時代が終わり、1936年の二・二六事件の後、軍部は発言力を強めました。1937年の盧溝橋事件から日中戦争が始まり、国家総動員法で戦時体制になりました。1939年、ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まり、日本は1941年にアメリカ・イギリスとの戦争を始めました。空襲や沖縄戦、広島・長崎の原子爆弾を経て、1945年にポツダム宣言を受け入れ、9月2日に降伏文書に署名して大戦が終わりました。プリントの確認問題で、年号の順と記述を手を動かして練習してみてください。
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▶ ① 世界恐慌と日本の中国侵略 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ
▶ ② 第二次世界大戦と日本 授業用プリント(全18ページ)
説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ

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