中3社会(歴史)の「第一次世界大戦と日本」を、図と例題で1つずつ確かめるページです。1914年の大戦の始まりから、1925年の普通選挙法(選挙権をもてる「満25歳以上の男子」の条件)まで、世界と日本がどう変わったかを年号とともに学びます。どの見出しも「答え → 理由 → 例題」の順に書いています。紙に書いて練習したい人は、下の無料プリントを使ってください。
⏱ 30秒でわかる この単元の要点
- 三国同盟と三国協商に分かれた列強が対立し、「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島で1914年にサラエボ事件が起こって、第一次世界大戦(1914〜1918年)になった。総力戦で長引く中、日本は日英同盟を理由に参戦し、1915年に中国へ二十一か条の要求を出した
- 1917年のロシア革命で、レーニンの指導するソビエトの政府ができ(1922年にソ連)、各国は1918年にシベリア出兵を行った。アメリカの参戦で連合国が有利になり、1918年にドイツで革命が起こって降伏し、大戦が終わった
- 1919年のベルサイユ条約、1920年の国際連盟(本部はジュネーブ、アメリカは不参加)、1921〜22年のワシントン会議(主力艦の制限・日英同盟の解消・山東省の権益を中国へ返す)で国際協調と軍縮が進んだ。民族自決はアジアの植民地には当てはめられず、三・一独立運動(朝鮮)、五・四運動(中国)、ガンディーの非暴力・不服従(インド)が起こった
- 日本は大戦景気で工業が発達したが、物価が上がり賃金がおくれて民衆は苦しくなり、1918年に米騒動が起こった。原敬の政党内閣と大正デモクラシーの風潮が広がり、労働争議・小作争議・女性運動・全国水平社などの社会運動も広がった
- 1925年に普通選挙法が成立し、納税額の制限がなくなって満25歳以上のすべての男子が選挙権をもった(女性は1945年から)。同じ年に治安維持法もつくられた。ラジオ放送が始まり、都市の生活が洋風になり、1923年の関東大震災の後に街並みが変わった
つまずき注意:普通選挙法(1925年)で選挙権をもったのは満25歳以上のすべての男子で、女性は含まれない。変わったのは納税額の制限がなくなったこと。ワシントン会議では日英同盟は解消された。国際連盟の本部はスイスのジュネーブで、提案したアメリカは加盟しなかった。シベリア出兵はロシア革命をおさえるための出兵。
日露戦争までの日本の歩みは、中2社会「日清・日露戦争と近代産業の発展」で解説しています。
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説明 1〜16ページ/確認問題 17〜19ページ/覚えることの一覧 20ページ/答えと解説 21・22ページ。この記事の見出しごとに、対応するページを書いています。
- 第一次世界大戦は、世界と日本をどう変えた? 単元の全体像
- なぜヨーロッパで、世界をまきこむ戦争が起こった?
- 総力戦と日本の参戦:二十一か条の要求
- 戦争中のロシアで、何が起こった? ロシア革命
- ロシア革命に世界はどう対応した? 大戦はどう終わった?
- 大戦の後、世界はどうやって平和を守ろうとした?① ベルサイユ条約と国際連盟
- 大戦の後、世界はどうやって平和を守ろうとした?② ワシントン会議と民主主義の広まり
- アジアの民族運動:朝鮮・中国・インド
- 大戦中の日本で、民衆はどう動いた? 護憲運動・大戦景気・米騒動
- 原敬の内閣は、なぜ「本格的な政党内閣」とよばれる? 大正デモクラシー
- 大正時代、人々はどんな権利を求めて運動した? 社会運動
- 選挙権はどう広がった? 普通選挙法の「満25歳以上の男子」と治安維持法
- 大正時代、文化はどのように広がった? 都市の人々のくらし
- 第一次世界大戦は、世界と日本をどう変えた? クラゲチャートと年表
- まとめ
第一次世界大戦は、世界と日本をどう変えた? 単元の全体像
📄 プリント1ページ
答え:20世紀の初め、ヨーロッパの列強どうしの争いから、世界の多くの国をまきこむ第一次世界大戦(1914〜1918年)が起こりました。この戦争は、世界のしくみ(国際協調・社会主義の国・民族運動)も、日本の政治や人々の生活(大戦景気・政党内閣・普通選挙・新しい文化)も大きく変えました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1914年 | 第一次世界大戦が始まる |
| 1915年 | 二十一か条の要求 |
| 1917年 | ロシア革命 |
| 1918年 | 米騒動・大戦が終わる |
| 1919年 | ベルサイユ条約・三・一独立運動 |
| 1920年 | 国際連盟 |
| 1922年 | 全国水平社 |
| 1923年 | 関東大震災 |
| 1925年 | 普通選挙法・ラジオ放送 |
理由:中2では、日本が日清戦争・日露戦争に勝ち、列強(強い国々)の仲間入りをしたことを学びました。この記事は、1914年から1925年の普通選挙法までを学びます(大正時代は1912〜1926年)。見出しは、大戦の始まりと日本の参戦 → ロシア革命と大戦の終わり → 国際協調の時代 → アジアの民族運動 → 大正デモクラシー → 新しい文化と生活 → まとめ、の順に進みます。
世紀の数え方:19世紀は1801〜1900年、20世紀は1901〜2000年です。
まちがえやすい
✕ 1914年の大戦は、19世紀のできごと → ◯ 1914年は20世紀(1901〜2000年)。1925年の普通選挙法も20世紀
基本第一次世界大戦が始まった1914年と、普通選挙法が成立した1925年は、それぞれ何世紀のできごとですか。
20世紀は1901〜2000年です。1914年も1925年も、この範囲に入ります。
答え:どちらも20世紀
標準第一次世界大戦が始まった年から、普通選挙法が成立した年まで、何年たちましたか。
年の差:1925−1914=11(年)
答え:11年
なぜヨーロッパで、世界をまきこむ戦争が起こった?
📄 プリント2ページ
答え:ヨーロッパの列強が三国同盟と三国協商の2つのまとまりに分かれて軍備を強めながら対立する中、「ヨーロッパの火薬庫」とよばれたバルカン半島で、1914年にサラエボ事件が起こりました。同盟や協商で結びついた国々が次々に戦いに加わり、第一次世界大戦になりました。
| まとまり | 国 | できた年 |
|---|---|---|
| 三国同盟 | ドイツ・オーストリア・イタリア | 1882年 |
| 三国協商 | イギリス・フランス・ロシア | 1907年までに |
中2で学んだ帝国主義(列強が植民地を広げようと争った動き)の続きです。おくれて力をのばしたドイツが植民地を求め、イギリスやフランスと対立しました。
バルカン半島:ヨーロッパの南東の半島です。オスマン帝国の力が弱まり、いくつもの民族が独立を求めて争いました。ロシアとオーストリアも勢力をのばそうとしたので、いつ戦争が起きてもおかしくない状態で、「ヨーロッパの火薬庫」とよばれました。
- 1914年6月 オーストリアの皇太子夫妻が、サラエボで、セルビアの青年に暗殺された(サラエボ事件)
- オーストリアがセルビアに宣戦する
- セルビアを助けるロシア、ロシアと協商を結ぶフランス・イギリス、オーストリアと同盟を結ぶドイツが、味方として次々に加わる
- 第一次世界大戦(1914〜1918年)になる
| 陣営 | 国 |
|---|---|
| 連合国 | イギリス・フランス・ロシア・日本など。のちにイタリア(1915年。もとは三国同盟)、アメリカ(1917年)も |
| 同盟国 | ドイツ・オーストリア・オスマン帝国など |
覚え方:「同盟と協商、火薬庫に火がついた」。
まちがえやすい
✕ 第一次世界大戦は、セルビアとオーストリアの2つの国だけの戦争だった → ◯ 同盟や協商で結びついた国々が次々に加わった
基本1914年6月、サラエボで暗殺された人はだれですか。
サラエボ事件の説明で確かめます。
答え:オーストリアの皇太子夫妻
標準バルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」とよばれたのはなぜですか。「民族」「戦争」の2つの語を使って書きなさい。
バルカン半島の説明で確かめます。オスマン帝国の力が弱まり、民族の争いがあり、ロシアとオーストリアも勢力をのばそうとしていました。
答え:いくつもの民族が独立を求めて争い、ロシアとオーストリアも勢力をのばそうとして、いつ戦争が起きてもおかしくなかったから。
総力戦と日本の参戦:二十一か条の要求
📄 プリント3ページ
答え:第一次世界大戦は、国民・経済・資源のすべてを戦争に注ぎこむ総力戦でした。日本は1914年8月、日英同盟を理由に連合国側で参戦し、ドイツの拠点だった中国の山東省と太平洋の南洋諸島を占領して、1915年に中国へ二十一か条の要求を出しました。
総力戦と新しい兵器:男性が戦場へ行き、女性が兵器工場などで働き、植民地の人々も兵士や労働者として集められました。戦車・飛行機・毒ガス・潜水艦・機関銃が使われるようになり、死傷者がとても多くなりました。ヨーロッパでは、塹壕(兵士が身をかくすために地面にほったみぞ)にこもって撃ち合う戦いが続き、戦争が長引きました。
- 1914年8月 日英同盟(1902年。中2で学んだ)を理由に、イギリスと同じ連合国側で参戦する
- ドイツの拠点だった中国の山東省(青島など)と、太平洋の南洋諸島(赤道より北のドイツ領の島々)を占領する
- 1915年 中国(中華民国)に二十一か条の要求を出す
- 軍隊の力を背景に、大部分を認めさせる
- 中国の人々の反発が強まる(五・四運動につながる)
二十一か条の要求は、山東省のドイツの権益(国が外国でもっていた特別な権利)を日本が引きつぐことなどを、中国に求めた要求です。日本のねらいは、ヨーロッパの国々がアジアに力を向けられないうちに、中国で勢力を広げることでした。また、ヨーロッパの国々の商品がアジアの市場から消えると、日本の商品がアジアで売れるようになりました(大戦景気につながる)。
覚え方:「日英同盟で参戦、中国に二十一か条」。
まちがえやすい
✕ 日本は、ヨーロッパの戦場で、ドイツ軍と大きな戦いを続けた → ◯ 日本のおもな戦いは、中国の山東省や太平洋の島々にあるドイツの拠点を占領することだった
基本第一次世界大戦で、戦場の兵士が身をかくすために地面にほったみぞを何といいますか。
総力戦の説明で確かめます。
答え:塹壕
標準日本が、大戦中に中国へ二十一か条の要求を出したときのねらいを、「ヨーロッパ」「勢力」の2つの語を使って書きなさい。
日本のねらいの説明で確かめます。
答え:ヨーロッパの国々がアジアに力を向けられないうちに、中国で勢力を広げること。
戦争中のロシアで、何が起こった? ロシア革命
📄 プリント4ページ
答え:長い総力戦で国民の生活が苦しくなったロシアでは、1917年にロシア革命が起こり、皇帝が退位しました。レーニンの指導する勢力が、労働者や兵士の代表会議(ソビエト)を中心とする、世界で初めての社会主義の政府をつくり、1922年にソ連が成立しました。
- 総力戦で戦争が長引き、食料や燃料が足りなくなって、民衆の不満が高まる
- 1917年3月 労働者や兵士が立ち上がり、皇帝が退位する(帝政がたおれる)
- 11月 レーニンの指導する勢力が、ソビエトを中心とする政府をつくる(世界で初めての社会主義の政府)
- 1918年 ドイツと単独で講和(戦争をやめる約束を結ぶこと)して、戦争から退く
- 1922年 ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が成立する
社会主義:土地や工場などを、個人ではなく社会全体(国)のものにして、平等な社会をめざす考えです。
| 資本主義 | 社会主義 | |
|---|---|---|
| 土地や工場 | 持ち主(資本家)のもの | 社会全体(国)のもの |
| めざすもの | 資本家が利益を得るしくみ | 平等な社会 |
| 革命の前 | 革命の後 | |
|---|---|---|
| 治める人 | 皇帝 | ソビエトの政府 |
| 土地と工場 | 地主や資本家のもの | 社会全体(国)のもの |
| 戦争 | 続ける | ドイツと講和して退く |
| 国 | 年 | 起こったこと | その後 |
|---|---|---|---|
| ロシア | 1917年 | 革命が起こり、皇帝が退位した | ソビエトの政府ができ、戦争から退いた |
| ドイツ | 1918年 | 革命が起こり、皇帝が退位した | 降伏し、大戦が終わった |
ロシアとドイツの同じところは、長い総力戦で国民の生活が苦しくなり、皇帝の国がたおれたことです。
覚え方:「パンと平和を求めて、レーニンの革命」。
まちがえやすい
✕ ロシア革命では、皇帝のもとで議会の力が強くなった → ◯ 皇帝が退位し、労働者や兵士の代表会議(ソビエト)を中心とする、世界で初めての社会主義の政府ができた
基本ロシア革命で、レーニンの指導する勢力がつくった、労働者や兵士の代表会議を何といいますか。
ロシア革命の流れの11月の項目で確かめます。
答え:ソビエト
標準ロシアで革命が起こったあと、戦争について、政府はどうしましたか。また、同じ大戦中に革命が起こったドイツと、ロシアの同じところを書きなさい。
革命の前と後の表、ロシアとドイツをくらべた表で確かめます。
答え:ドイツと講和して戦争から退いた。同じところは、長い総力戦で国民の生活が苦しくなり、皇帝の国がたおれたこと。
ロシア革命に世界はどう対応した? 大戦はどう終わった?
📄 プリント5ページ
答え:革命が自分の国に広がるのをおそれた日本・アメリカ・イギリス・フランスなどは、1918年にシベリア出兵を行いました。大戦は、1917年にアメリカが連合国側で参戦して連合国が有利になり、1918年11月、ドイツで革命が起こって皇帝が退位し、ドイツが降伏して終わりました。
- 革命が自分の国に広がると、皇帝や資本家の支配がゆらぐと考える
- 革命をつぶそうとして、軍隊を送る(干渉戦争)
- 1918年 日本・アメリカ・イギリス・フランスなどが、シベリアに軍隊を送る
シベリア出兵で、日本は最も多くの兵を送り、ほかの国が引き上げた後も1922年まで残って、国内外から批判されました。
アメリカの参戦(1917年):ドイツの潜水艦がアメリカなどの船もしずめるようになり、アメリカが連合国側で参戦しました。
大戦の終わり(1918年11月):ドイツで革命が起こって皇帝が退位し、ドイツが降伏しました。大戦の前後で、ロシア・ドイツ・オーストリア・オスマン帝国の皇帝の国(帝国)がたおれました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1914年 | サラエボ事件・日本の参戦 |
| 1915年 | 二十一か条の要求・イタリアが連合国側に |
| 1917年 | ロシア革命・アメリカの参戦 |
| 1918年 | シベリア出兵・ドイツの降伏 |
年表の読み方:1917年には、ロシア革命とアメリカの参戦が同じ年に起こっています。ロシアは革命で戦争から退く方向へ向かい、アメリカは連合国側に加わりました。年表は、同じ年のできごとを並べて、つながりを考えると読みやすくなります。
ヨーロッパは戦場となり、兵士だけでなく多くの市民が死に、国土があれました。二度と大きな戦争を起こさないための国際協調へ向かいます。
覚え方:「革命をおさえに、シベリアへ」。
まちがえやすい
✕ シベリア出兵は、ドイツと戦うための出兵だった → ◯ ロシアの革命が広がるのをおさえるための出兵だった
基本大戦の前後でたおれた、皇帝の国(帝国)を4つ答えなさい。
大戦の終わりの説明で確かめます。
答え:ロシア・ドイツ・オーストリア・オスマン帝国
標準1917年にアメリカが連合国側で参戦したのは、なぜですか。「潜水艦」「船」の2つの語を使って書きなさい。
アメリカの参戦の説明で確かめます。
答え:ドイツの潜水艦が、アメリカなどの船もしずめるようになったから。
大戦の後、世界はどうやって平和を守ろうとした?① ベルサイユ条約と国際連盟
📄 プリント6ページ
答え:1919年のパリ講和会議でベルサイユ条約が結ばれ、ドイツはすべての植民地などを失い、ばく大な賠償金を課されました。ウィルソンがとなえた民族自決の考えが広まり、その提案をもとに、1920年に世界の平和を目的とする初めての国際機関、国際連盟が発足しました。
| 国 | ベルサイユ条約で決まったこと |
|---|---|
| ドイツ | すべての植民地と、本国の一部の領土を失う/ばく大な賠償金(戦争の損害をつぐなうお金)を課される/軍備を縮小させられる |
| 日本 | 山東省のドイツの権益を引きつぐ/南洋諸島を国際連盟から任されて治める |
民族自決:それぞれの民族が、自分たちの国のあり方を、自分たちで決めるべきだという考えです。アメリカのウィルソン大統領がとなえ、東ヨーロッパでは多くの国が独立しました。しかし、アジアやアフリカの植民地には当てはめられませんでした。
| 国際連盟 | 中身 |
|---|---|
| 発足 | 1920年。42か国 |
| 本部 | スイスのジュネーブ |
| 常任理事国 | イギリス・フランス・イタリア・日本 |
| 日本人の活躍 | 新渡戸稲造が事務局次長(事務局の長を助ける役)として活躍した |
国際連盟の弱点:
- 提案したアメリカは、議会の反対で加盟しなかった
- ドイツやソ連は、初めは加盟できなかった
- 決まりを破った国への制裁は、貿易を止めるなどの経済的な制裁が中心で、軍事力による制裁はできなかった
- 決定には全会一致が原則だった(第二次世界大戦の後につくられた国際連合とは別の組織)
覚え方:「連盟はジュネーブ、アメリカはいない」。
まちがえやすい
✕ 国際連盟は、提案したアメリカが中心となってつくられ、本部はニューヨークに置かれた → ◯ アメリカは議会の反対で加盟せず、本部はスイスのジュネーブ
基本ベルサイユ条約で、日本が引きついだ物と、国際連盟から任されて治めることになった地域を答えなさい。
ベルサイユ条約の表の「日本」の行で確かめます。
答え:山東省のドイツの権益、南洋諸島
標準国際連盟の弱点のうち、加盟国について起こったことを2つ書きなさい。
国際連盟の弱点の最初の2つの項目で確かめます。
答え:提案したアメリカが議会の反対で加盟しなかった。ドイツやソ連は初めは加盟できなかった。
大戦の後、世界はどうやって平和を守ろうとした?② ワシントン会議と民主主義の広まり
📄 プリント7ページ
答え:1921〜22年に、アメリカのよびかけでワシントン会議が開かれ、海軍の主力艦の数を制限しました。日英同盟は解消され、日本は山東省の権益を中国に返しました。1920年代は列強が協調して戦争をさけようとした国際協調の時代で、民主主義も広まりました。
| ワシントン会議 | 中身 |
|---|---|
| いつ | 1921〜22年 |
| よびかけた国 | アメリカ |
| 決めたこと | 海軍の主力艦(大きな軍艦)の数を制限した(ワシントン海軍軍縮条約)/中国の独立と領土を尊重する/太平洋地域の現状を守る条約を結び、日英同盟は解消された/日本は山東省の権益を中国に返した |
軍縮:軍備を減らすことです。日本も、欧米と協調する外交を進めました。国際連盟は、前の見出しで見たように、世界の平和と国際協調を目的とする国際機関で、ワシントン会議は、アメリカのよびかけで開かれた、軍縮などを話し合う会議です。
民主主義の広まり:
- 総力戦で国民全体が戦争に協力する(女性も工場などで働いた)
- 国民の発言力が強まる
- 選挙権が広がる
- 女性の選挙権が認められる(イギリスは1918年に30歳以上、アメリカは1920年)
ワイマール憲法:1919年にドイツで定められた憲法です。男女の普通選挙(納税額などで選挙権を制限しない選挙)と、人間らしい生活を送る権利を初めて定めた憲法として知られます。
| 大戦の前 | 大戦の後 | |
|---|---|---|
| 国と国の関係 | 同盟どうしが対立 | 国際連盟で協調・軍縮 |
| 政治 | 皇帝の力が強い国が多い | 帝国がたおれ、民主主義が広まる |
| 選挙権 | 男性の一部が中心 | 女性にも広がる |
覚え方:「軍縮と協調、選挙権は女性にも」。
まちがえやすい
✕ ワシントン会議では、日英同盟を強めることが決められた → ◯ 日英同盟は解消された
基本ワシントン会議をよびかけた国はどこですか。
ワシントン会議の表の「よびかけた国」で確かめます。
答え:アメリカ
標準ワシントン会議のあと、日英同盟と、日本が引きついでいた山東省の権益は、それぞれどうなりましたか。
ワシントン会議の「決めたこと」で確かめます。
答え:日英同盟は解消された。山東省の権益は中国に返した。
標準大戦の前と後を、「国と国の関係」でくらべると、どう変わりましたか。
大戦の前と後をくらべた表の1行目で確かめます。
答え:同盟どうしが対立していたのが、国際連盟で協調し、軍縮を進めるようになった。
アジアの民族運動:朝鮮・中国・インド
📄 プリント8・9ページ
答え:大戦中に植民地の人々も戦争に協力し、民族自決の考えも伝わったので、アジアで独立を求める運動が高まりました。1919年には朝鮮で三・一独立運動、中国で五・四運動が起こり、インドではガンディーが非暴力・不服従の運動を指導しました。
しかし、民族自決はアジアの植民地には当てはめられませんでした。
朝鮮:朝鮮は、1910年の韓国併合(中2で学んだ)から日本の植民地でした。日本は朝鮮総督府を置き、軍隊や警察の力で支配し、朝鮮の人々の土地を取り上げることもありました。
- 1919年3月1日 京城(今のソウル)で、朝鮮の人々が独立宣言を読み上げ、「独立万歳」とさけぶ
- 運動は朝鮮全土に広がる(三・一独立運動)
- 朝鮮総督府は軍隊や警察を使ってしずめ、多くの死者が出る
- その後、日本は武力で取りしまるやり方を少し改めたが、植民地の支配は続く
中国:中国では、二十一か条の要求で反発が強まっていました。パリ講和会議で、山東省のドイツの権益を日本が引きつぐことが認められると、1919年5月4日、北京の学生たちが反対して立ち上がり、日本の商品を買わない運動などが全国に広がりました(五・四運動)。孫文(中2で学んだ辛亥革命の中心)は、1919年に中国国民党をつくり、国の統一をめざしました。1921年には中国共産党もつくられました。
インド:大戦中、イギリスは戦後の自治(自分たちで治めること)を認めると約束しましたが、戦後、約束は守られず、民族運動が取りしまられました。ガンディー(ガンジー)が運動を指導し、完全な自治(独立)を求めて、暴力を使わずにイギリスの法律や命令に従わない非暴力・不服従で抵抗しました。イギリスの製品を買わず、自分たちで布を織る運動などが広がりました。
| 朝鮮 | 中国 | インド | |
|---|---|---|---|
| 反対した相手 | 日本の植民地支配 | 日本の山東省の権益の引きつぎ | イギリスの支配 |
| 年 | 1919年 | 1919年 | 大戦の後 |
| 運動と中心 | 三・一独立運動(京城) | 五・四運動(北京の学生) | ガンディーの運動 |
| 方法 | 独立宣言・「独立万歳」 | 日本の商品を買わない運動 | 非暴力・不服従 |
覚え方:「3月1日、独立万歳」「北京の学生、インドのガンディー」。
まちがえやすい
✕ ガンディーは、軍隊を組織してイギリスと戦い、独立を勝ち取った → ◯ 非暴力・不服従の運動で、完全な自治(独立)を求めた(独立は第二次世界大戦の後)
標準五・四運動と、ガンディーの運動は、それぞれ何に反対した運動ですか。
3つの運動をくらべた表の「反対した相手」の行で確かめます。
答え:五・四運動=日本の山東省の権益の引きつぎ、ガンディーの運動=イギリスの支配
標準三・一独立運動に対して、朝鮮総督府はどのように対応しましたか。「軍隊」「警察」の2つの語を使って書きなさい。
三・一独立運動の流れの3つ目の項目で確かめます。
答え:軍隊や警察を使ってしずめ、多くの死者が出た。
大戦中の日本で、民衆はどう動いた? 護憲運動・大戦景気・米騒動
📄 プリント10ページ
答え:大戦中の日本は大戦景気(1915〜18年ごろ)で工業が発達しましたが、物価が大きく上がったのに賃金の上がり方がおくれたので、民衆の生活は苦しくなりました。1918年、米の値段が急に上がると、富山県から全国に米騒動が広がりました。
第一次護憲運動:1912〜13年、藩閥(中2で学んだ)の桂太郎が首相になると、尾崎行雄や犬養毅らが「憲法にもとづく政治を守れ」とうったえ、民衆も加わって帝国議会を取り囲みました。桂の内閣は2か月ほどで退陣しました。
大戦景気のしくみ:
- ヨーロッパの国々が、アジアに商品を送れなくなる
- 日本の商品が多く輸出され、輸出が輸入を上回る
- 造船業や、鉄鋼・化学などの重化学工業が発達する
- 急に大金持ちになった成金が現れる
大戦景気で、工業の生産額が農業の生産額を上回りました。でも、民衆の生活は苦しくなりました。物の値段(物価)が大きく上がったのに、働く人の給料(賃金)の上がり方が、それにおくれたからです。
物価と賃金の考え方(数は架空):Hさんの給料が前の2倍になっても、米の値段が前の2.5倍になれば、給料で買える米は前の0.8倍(8割)になります(2÷2.5=0.8)。グラフを読むときは、物価の線と賃金の線の上がり方をくらべます。
米騒動の流れ:
- 大戦景気で、物価が上がる
- シベリア出兵を見こして、商人などが米を買い占める(あとで高く売るために買いこむ)
- 米の値段が急に上がる
- 富山県の漁村の女性たちが、米の安売りを求めて米屋などにおしかける
- 新聞で伝わり、全国に広がる
米騒動は、1918年、米の値段が急に上がり、米の安売りを求めて富山県から全国の都市や農村・炭鉱に広がった騒ぎです。政府は軍隊でしずめ、寺内正毅内閣は責任をとって退陣しました。
覚え方:「好景気でも、米は買えない」。
まちがえやすい
✕ 好景気になったので、民衆の生活はだれでも楽になった → ◯ 物価が大きく上がり、賃金がそれに追いつかない人々の生活は苦しくなった
標準Hさんの給料が前の2倍になり、米の値段が前の2.5倍になりました。Hさんが給料で買える米は、前の何倍になりますか。
買える米の量は、給料の倍率を、米の値段の倍率でわって求めます。
2÷2.5=0.8
答え:0.8倍(8割)
標準米騒動に関する次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 米の値段が急に上がる イ 商人などが米を買い占める ウ 富山県の漁村の女性たちが米の安売りを求める エ 新聞で伝わり、全国に広がる
米騒動の流れの順に確かめます。買い占めで値段が上がり、女性たちが動き、全国に広がりました。
答え:イ → ア → ウ → エ
基本米騒動の責任をとって退陣した内閣は、どの首相の内閣ですか。
米騒動の説明の最後で確かめます。
答え:寺内正毅
原敬の内閣は、なぜ「本格的な政党内閣」とよばれる? 大正デモクラシー
📄 プリント11ページ
答え:米騒動で寺内内閣が退陣した後、1918年に首相になった原敬は、衆議院で最も議席の多い立憲政友会の総裁で、陸軍・海軍・外務の3つの大臣のほかはすべて党員だったので、初めての本格的な政党内閣とよばれます。この時期、民主主義を求める大正デモクラシーの風潮が広まりました。
政党内閣:議会で多数をしめる政党の党員が中心となってつくる内閣です。原敬は、爵位(華族の位)をもたず、衆議院に議席をもつ首相だったので、「平民宰相」とよばれました。選挙権の条件を、直接国税10円以上から3円以上に引き下げました(1919年)が、普通選挙には慎重でした。原は1921年に暗殺されました。
| 藩閥の内閣 | 政党内閣 | |
|---|---|---|
| 中心になる人 | 藩閥の政治家(桂太郎など) | 議会で多数をしめる政党の党員(原敬など) |
| 大臣 | 藩閥の人が中心 | 3つの大臣のほかは政党の党員 |
| 国民の考えとのつながり | 反対する護憲運動が起こった | 衆議院の議席(選挙の結果)にもとづく |
大正デモクラシーと民本主義:大正デモクラシーは、大正時代を中心に、民主主義(デモクラシー)を求める考えや動きが広まった風潮です。吉野作造が主張した民本主義は、主権が天皇にあるという大日本帝国憲法のもとでも、政治の目的は民衆の幸福にあり、政治は民衆の考えにもとづいて決めるべきだとしました。そのために、普通選挙で選ばれた議会と政党内閣が必要だと主張しました。
美濃部達吉の天皇機関説は、主権は国家にあり、天皇は国家の最高の機関として憲法に従って国を治める、という考えで、政党内閣を支える考えとされました。
覚え方:「米騒動のあと、平民宰相の政党内閣」。
まちがえやすい
✕ 民本主義は、主権を天皇から国民に移すことを主張した考えだった → ◯ 主権が天皇にある憲法のもとで、政治は民衆の考えにもとづいて行うべきだとした考え(国民が主権をもつという考えとはちがう)
標準次のア〜ウを、藩閥の内閣にあてはまる物と、政党内閣にあてはまる物に分けなさい。ア 桂太郎が首相になった イ 原敬が首相になった ウ 3つの大臣のほかの大臣が、すべて政党の党員だった
藩閥の内閣と政党内閣をくらべた表の「中心になる人」「大臣」で確かめます。
答え:藩閥の内閣=ア、政党内閣=イ・ウ
標準原敬の内閣が、1919年に選挙権の条件をどのように変えたかを答えなさい。
原敬の説明の中で確かめます。
答え:直接国税10円以上から、3円以上に引き下げた。
基本美濃部達吉の天皇機関説では、天皇は国家の何だと考えられましたか。
美濃部達吉の説明で確かめます。
答え:国家の最高の機関
大正時代、人々はどんな権利を求めて運動した? 社会運動
📄 プリント12ページ
答え:大戦景気で工場で働く人が増え、物価が上がって生活が苦しくなり、ロシア革命や民主主義の広まりも伝わって、社会運動が広がりました。労働者・小作人・女性・被差別部落の人々・アイヌの人々が、それぞれの願いを求めて運動を起こしました。
労働争議は、働く人(労働者)が、賃金の引き上げや労働時間の短縮などを求めて、会社と争うことです。小作争議は、小作人(地主から土地を借りて耕す農民)が、地主に小作料(借りる代金)の引き下げなどを求めて争うことです。
| 運動 | だれが | 何を求めた | できた団体と年 |
|---|---|---|---|
| 労働争議 | 労働者 | 賃金の引き上げ・労働時間の短縮 | 1920年 日本初のメーデー(5月1日。労働者の祭典) |
| 小作争議 | 小作人 | 小作料の引き下げ | 1922年 日本農民組合 |
| 女性運動 | 女性 | 女性の解放 | 1911年 青鞜社/1920年 新婦人協会 |
| 部落解放運動 | 被差別部落の人々 | 差別からの解放 | 1922年 全国水平社 |
| アイヌの人々の運動 | アイヌの人々 | 差別をなくし、地位の向上 | 1930年 北海道アイヌ協会 |
女性運動:平塚らいてうは、1911年に青鞜社をつくり、雑誌『青鞜』で「元始、女性は実に太陽であった」と書いて、女性の解放をうったえました。1920年には、市川房枝らと新婦人協会をつくり、女性が政治の集会に参加できるようにする運動を進めました。
「解放令」から水平社へ:中2で学んだ1871年の「解放令」の後も、被差別部落への差別は続きました。1922年、京都で、被差別部落の人々が、自分たちの力で差別からの解放をめざして全国水平社をつくりました。水平社宣言は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれています。
覚え方:「働く人も、小作人も、女性も、立ち上がる」。
まちがえやすい
✕ 全国水平社は、労働者が賃金の引き上げを求めてつくった団体である → ◯ 被差別部落の人々が、自分たちの力で差別からの解放をめざしてつくった団体
標準次の団体を、できた年の古い順に並べなさい。ア 全国水平社 イ 青鞜社 ウ 北海道アイヌ協会 エ 新婦人協会
表の「できた団体と年」で年を書き出します。イ 1911年、エ 1920年、ア 1922年、ウ 1930年。
答え:イ → エ → ア → ウ
基本1920年に平塚らいてうが市川房枝らとつくった団体は何ですか。また、この団体はどのような運動を進めましたか。
女性運動の説明で確かめます。
答え:新婦人協会。女性が政治の集会に参加できるようにする運動を進めた。
選挙権はどう広がった? 普通選挙法の「満25歳以上の男子」と治安維持法
📄 プリント13ページ
答え:1925年、加藤高明内閣のもとで普通選挙法が成立し、納税額の制限がなくなって、満25歳以上のすべての男子が衆議院議員の選挙権をもちました。有権者は約4倍に増えましたが、女性の選挙権は認められませんでした。同じ年に、運動を取りしまる治安維持法もつくられました。
第二次護憲運動:1924年、政党が第二次護憲運動を起こし、選挙で勝った憲政会の加藤高明が首相になりました。その内閣のもとで、1925年に普通選挙法が成立しました。
| 年 | 選挙権をもつ人 | 有権者の割合(選挙の年) |
|---|---|---|
| 1889年 | 直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子 | 約1%(1890年) |
| 1900年 | 直接国税10円以上 | 約2%(1902年) |
| 1919年 | 直接国税3円以上 | 約5.5%(1920年) |
| 1925年 | 納税額の制限なし。満25歳以上のすべての男子 | 約20%(1928年) |
| 1945年 | 満20歳以上の男女(この後の単元で学ぶ) | ― |
「満25歳以上の男子」の正確な条件:1925年の普通選挙法で変わったのは、納税額の制限がなくなったことです。年齢(満25歳以上)と男子だけという条件は、1890年の最初の選挙から変わりませんでした。そのため、満25歳以上の男子ならだれでも選挙権をもてましたが、女性と、満25歳より若い男子は、選挙権をもてませんでした。女性が選挙権をもつのは、1945年からです。
治安維持法:1925年につくられた、共産主義(社会主義の考えの一つ)などの、天皇を中心とする国のしくみ(国体)や私有財産のしくみを変えようとする運動を取りしまる法律です。
| 普通選挙法 | 治安維持法 | |
|---|---|---|
| はたらき | 選挙権を広げる | 運動を取りしまる |
| 対象・ねらい | 満25歳以上のすべての男子が対象 | 同じ年にソ連と国交を結び、普通選挙で労働者などの政治への影響が大きくなるので、社会主義の考えが広まることをおそれた |
1924年から1932年まで、衆議院で多数をしめる政党の党首が首相となって内閣をつくることが続きました(「憲政の常道」)。できごとを年の順に並べた図や年表の空らんは、前後のできごとと年から考えます。
覚え方:「25歳以上の男子に選挙権、同じ年に治安維持法」。
まちがえやすい
✕ 1925年の普通選挙法で、満25歳以上の男女に選挙権があたえられた → ◯ 女性は認められず、満25歳以上の男子だけだった(女性は1945年から)
標準1890年の最初の選挙と、1925年の普通選挙法で、選挙権の条件はどこが変わりましたか。納税額・年齢・男女のそれぞれについて答えなさい。
表の1889年(選挙は1890年)と1925年の行を、1つずつ見比べます。
答え:納税額=直接国税15円以上の条件がなくなった。年齢=満25歳以上のまま。男女=男子だけのまま。
標準普通選挙法が成立した後も、選挙権をもてなかったのは、どのような人ですか。年齢と男女の条件から、2種類答えなさい。
普通選挙法の条件は「満25歳以上のすべての男子」です。この条件に当てはまらない人を考えます。
答え:女性(年齢に関係なく)、満25歳より若い男子
標準全人口に占める有権者の割合は、1890年の選挙の約1%から、1928年の選挙の約20%へ、何ポイント増えましたか。
表の「有権者の割合」の列で確かめます。
差:20−1=19(ポイント)
答え:約19ポイント
標準1925年に、政府が普通選挙法と同じ年に治安維持法をつくったのは、なぜですか。「普通選挙」「社会主義」の2つの語を使って書きなさい。
治安維持法の対象・ねらいで確かめます。
答え:普通選挙で労働者などの政治への影響が大きくなり、社会主義の考えが広まることをおそれたから。
大正時代、文化はどのように広がった? 都市の人々のくらし
📄 プリント14・15ページ
答え:教育が広がって字を読める人が増え、新聞・雑誌・ラジオ・映画などのメディアが発達して、一般の民衆が楽しむ大衆文化が広まりました。都市では、洋服や洋食、文化住宅など、くらしが洋風になりました。1923年の関東大震災の後の復興で、街並みも変わりました。
小学校に通う子どもはほぼ全員になり、中学校・高等女学校に進む人や、大学で学ぶ人も増えました。
| メディア | ようす |
|---|---|
| 新聞 | 発行部数が増えた |
| 雑誌 | 総合雑誌・週刊誌・子ども向けの雑誌がたくさん出された |
| 円本 | 1冊1円の全集が売られた |
| ラジオ | 1925年に放送が始まった |
| 映画 | 映画(活動写真)が人気になった |
ラジオ放送は、1925年に始まりました。家にいながら、全国の人が同じニュースや音楽、野球の中継などを聞けるようになりました。
| 作家 | 作品・特色 |
|---|---|
| 芥川龍之介 | 『羅生門』などの短編小説 |
| 志賀直哉 | 白樺派の作家 |
| 小林多喜二 | 労働者の生活をえがいたプロレタリア文学。『蟹工船』 |
都市化と働く人:東京や大阪などの大都市に人口が集まり(都市化)、会社で働くサラリーマン(会社員)が増えました。バスの車掌・タイピスト・電話交換手など、仕事をもって働く女性を職業婦人といいます。
| 生活の洋風化のようす | |
|---|---|
| 服 | 洋服を着る人が増えた |
| 食べ物 | カレーライスやコロッケなどの洋食が広まった |
| 住まい | 都市の郊外に、洋風の応接間をもつ住宅(文化住宅)が建てられた |
| あかり・水 | 電灯・水道・ガスが都市の家庭に広がった |
| 交通・店 | 都心と郊外の住宅地を結ぶ電車が走り、駅にはデパート(百貨店)ができた |
洋風のくらしが広まったのは大都市が中心で、農村では昔からのくらしが多く残っていました(働く人の多くは、まだ農業や農村の仕事についていました)。
関東大震災:1923年9月1日に関東地方で起こった大きな地震です。東京や横浜では火災が広がって、大きな被害が出ました。混乱の中で、「朝鮮人が暴動を起こす」などのうわさが広まり、多くの朝鮮人や中国人が殺害される事件が起きました。社会主義者が殺害される事件もありました。その後の復興で、鉄筋コンクリートの建物や広い道路がつくられ、街並みが変わりました。
覚え方:「読めるから広がる、大衆の文化」「洋服・洋食・文化住宅」。
まちがえやすい
✕ 大正時代には、日本中のくらしが洋風になった → ◯ 洋風のくらしが広まったのは東京や大阪などの大都市が中心で、農村では昔からのくらしが多く残っていた
基本1冊1円で売られた全集を何といいますか。
メディアの表で確かめます。
答え:円本
標準労働者の生活をえがいたプロレタリア文学の作家はだれですか。また、その代表作は何ですか。
大正から昭和の初めの文学の表で確かめます。
答え:小林多喜二、『蟹工船』
標準関東大震災の後の復興で、街並みはどう変わりましたか。
関東大震災の説明の最後の文で確かめます。
答え:鉄筋コンクリートの建物や広い道路がつくられた。
第一次世界大戦は、世界と日本をどう変えた? クラゲチャートと年表
📄 プリント16ページ
答え:第一次世界大戦は、列強の対立とバルカン半島の民族の対立から始まり、国民全体を巻きこむ総力戦になりました。世界では社会主義の国ができ、国際協調が進み、民族運動も起こりました。日本では大戦景気と米騒動、政党内閣と男子の普通選挙、社会運動と大衆文化が生まれました。
大戦の原因:列強の植民地争いと、三国同盟・三国協商の対立/バルカン半島の民族の対立/1914年のサラエボ事件から、国民全体を巻きこむ総力戦へ。
| 足 | 世界か日本か | 変わったこと |
|---|---|---|
| ① | 世界 | ロシア革命で、世界で初めての社会主義の国(ソ連)ができた |
| ② | 世界 | 国際連盟やワシントン会議で、国際協調と軍縮が進んだ |
| ③ | 世界 | 民族自決の考えが広まり、東ヨーロッパで国が独立し、アジアでも民族運動が起こった |
| ④ | 日本 | 大戦景気で工業が発達したが、物価が上がって米騒動が起こった |
| ⑤ | 日本 | 民衆が政治への参加を求め、政党内閣と男子の普通選挙が実現した |
| ⑥ | 日本 | 社会運動や大衆文化が広がり、都市の生活が洋風になった |
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1914年 | 第一次世界大戦が始まる | 1920年 | 国際連盟 |
| 1915年 | 二十一か条の要求 | 1921〜22年 | ワシントン会議 |
| 1917年 | ロシア革命 | 1922年 | 全国水平社 |
| 1918年 | 米騒動・大戦が終わる | 1923年 | 関東大震災 |
| 1919年 | ベルサイユ条約・三・一独立運動・五・四運動 | 1925年 | 普通選挙法・治安維持法・ラジオ放送 |
問いの答えの例:第一次世界大戦は、列強の対立とバルカン半島の民族の対立から始まり、国民全体を巻きこむ総力戦になりました。世界では、ロシア革命で社会主義の国ができ、大戦の後は国際連盟がつくられて国際協調が進み、民族自決の考えからアジアでも独立を求める運動が起こりました。日本では、大戦景気のあと米騒動が起こり、民衆の力を背景に政党内閣と普通選挙が実現し、社会運動や大衆文化が広がりました。大正時代まで、大戦をきっかけに、世界でも日本でも、民衆が力をもつ時代になりました。
まちがえやすい
✕ 大戦の影響は、ヨーロッパだけに現れた → ◯ 世界のしくみ(国際協調・社会主義の国・民族運動)も、日本の政治や人々の生活も変わった
基本ベルサイユ条約が結ばれた年に、朝鮮と中国で起こった運動を、それぞれ答えなさい。また、その年は何世紀ですか。
年表の1919年の行で確かめます。20世紀は1901〜2000年なので、1919年はこの範囲に入ります。
答え:朝鮮=三・一独立運動、中国=五・四運動。1919年は20世紀。
標準クラゲチャートの足のうち、「世界」の足と「日本」の足は、それぞれいくつありますか。また、日本の足にあたる変化を1つ答えなさい。
表の「世界か日本か」の列を数えます。①〜③が世界、④〜⑥が日本です。
答え:世界の足=3つ、日本の足=3つ。例)大戦景気で工業が発達したが、物価が上がって米騒動が起こった(ほかの答えも可)
✅ 一問一答で総チェック(20問)
問題を読んで、答えを頭の中で言ってからタップしましょう。答えが出ます。
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1914年6月、オーストリアの皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけになった事件を何といいますか。
答え:サラエボ事件
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ヨーロッパの南東の半島で、いくつもの民族が争い、「ヨーロッパの火薬庫」とよばれた場所はどこですか。
答え:バルカン半島
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兵士だけでなく、国民・経済・資源のすべてを戦争に注ぎこむ戦争を何といいますか。
答え:総力戦
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1915年に日本が中国に出した、山東省のドイツの権益を引きつぐことなどを求めた要求を何といいますか。
答え:二十一か条の要求
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1917年にロシアで起こり、皇帝が退位した革命を何といいますか。
答え:ロシア革命
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ロシア革命で、レーニンの指導する勢力がつくった、労働者や兵士の代表会議を何といいますか。
答え:ソビエト
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土地や工場などを、個人ではなく社会全体のものにして、平等な社会をめざす考えを何といいますか。
答え:社会主義
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1918年、革命が広がるのをおさえるために、日本などがシベリアに軍隊を送ったことを何といいますか。
答え:シベリア出兵
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1919年のパリ講和会議で結ばれ、ドイツに、ばく大な賠償金を課した条約を何といいますか。
答え:ベルサイユ条約
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それぞれの民族が、自分たちの国のあり方を、自分たちで決めるべきだという考えを何といいますか。
答え:民族自決
-
世界の平和を目的とし、1920年に発足した、スイスのジュネーブに本部を置いた初めての国際機関を何といいますか。
答え:国際連盟
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国際連盟の事務局次長として活躍した日本人はだれですか。
答え:新渡戸稲造
-
1921〜22年に、アメリカのよびかけで開かれ、海軍の主力艦の数を制限した会議を何といいますか。
答え:ワシントン会議
-
1919年3月1日に京城で独立宣言が読み上げられ、朝鮮全土に広がった運動を何といいますか。
答え:三・一独立運動
-
1919年5月4日、北京の学生たちの反対から全国に広がった、反日・反帝国主義の運動を何といいますか。
答え:五・四運動
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インドで、暴力を使わずにイギリスの法律や命令に従わない運動を指導した人物はだれですか。
答え:ガンディー
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1918年、米の値段が急に上がり、富山県から全国に広がった騒ぎを何といいますか。
答え:米騒動
-
立憲政友会の総裁で、1918年に首相になり、「平民宰相」とよばれた人物はだれですか。
答え:原敬
-
1925年に成立し、満25歳以上のすべての男子に衆議院議員の選挙権をあたえた法律を何といいますか。
答え:普通選挙法
-
1925年につくられた、共産主義などの運動を取りしまる法律を何といいますか。
答え:治安維持法
まとめ
1914年のサラエボ事件から、三国同盟と三国協商に分かれた列強が戦う第一次世界大戦になりました。日本は日英同盟を理由に参戦し、1915年に中国へ二十一か条の要求を出しました。1917年のロシア革命で世界で初めての社会主義の政府ができ、1918年にドイツが降伏して大戦が終わりました。1919年のベルサイユ条約、1920年の国際連盟、1921〜22年のワシントン会議で、国際協調と軍縮が進みました。民族自決はアジアの植民地には当てはめられず、朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動、インドの非暴力・不服従の運動が起こりました。日本では、大戦景気のあと1918年に米騒動が起こり、原敬の政党内閣と大正デモクラシーの風潮が広がりました。社会運動も広がり、1925年に、納税額の制限をなくして満25歳以上のすべての男子に選挙権をあたえる普通選挙法が成立しました(女性は含まれず、同じ年に治安維持法もつくられました)。ラジオ放送が始まり、都市の生活が洋風になって、1923年の関東大震災の後には街並みも変わりました。プリントの確認問題で、年号の順と記述を手を動かして練習してみてください。

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