⏱ 30秒でわかる この単元の要点
- 欧米の列強が原料と市場を求めて植民地を広げる帝国主義の中で、日本は領事裁判権を認め関税自主権が無い不平等条約の改正をめざした。1894年に陸奥宗光が領事裁判権の撤廃に成功し、1911年に小村寿太郎が関税自主権を完全に回復した
- 朝鮮をめぐって清と対立した日本は、1894年の甲午農民戦争のあと日清戦争を始めて勝ち、1895年の下関条約で、朝鮮の独立・遼東半島・台湾・澎湖諸島・賠償金を得た。ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉で遼東半島は清に返し、台湾には台湾総督府を置いた
- ロシアが旅順・大連を租借し、義和団事件のあとも満州に軍をとどめる中、日本は1902年に日英同盟を結び、1904年に日露戦争を始めた。1905年のポーツマス条約で、韓国での優越・旅順と大連の租借権・長春から南の鉄道・北緯50度より南の樺太を得たが、賠償金は得られず、日比谷焼き打ち事件が起こった
- 日本は1905年に韓国を保護国にして統監府を置き、1910年に韓国を併合して朝鮮総督府を置いた。清では孫文の三民主義のもと、1911年に辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が建国されて清がほろびた
- 日本の産業革命は紡績業・製糸業の軽工業から始まり、日清戦争の賠償金の一部で建てた八幡製鉄所(1901年操業)など重工業が発展した。労働問題や足尾銅山鉱毒事件も起こった。文化では、北里柴三郎らの研究が生まれ、欧米の文化を取り入れつつ伝統も見直した近代文化がつくられた
つまずき注意:賠償金があったのは下関条約で、ポーツマス条約では得られなかった。遼東半島と台湾は下関条約、北緯50度より南の樺太はポーツマス条約。三国干渉を求めたのはロシア・ドイツ・フランス。韓国は1905年に保護国、併合は1910年。1900年は19世紀(1801〜1900年)。
中2社会(歴史)の「日清・日露戦争と近代産業の発展」を、図と例題で1つずつ確かめるページです。条約改正から日清戦争・下関条約、日露戦争・ポーツマス条約(賠償金のちがいも表でくらべます)、韓国併合と辛亥革命、産業革命と近代文化まで、日本が清やロシアと戦った理由と、そのあとの変化を年号とともに学びます。どの見出しも「答え → 理由 → 例題」の順に書いています。紙に書いて練習したい人は、下の無料プリントを使ってください。
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説明 1〜14ページ/確認問題 15〜17ページ/覚えることの一覧 18ページ/答えと解説 19・20ページ。この記事の見出しごとに、対応するページを書いています。
- なぜ日本は、清やロシアと戦争をすることになった? 単元の全体像
- 欧米の列強は、アジアやアフリカで何をしていた? 帝国主義と不平等条約
- 不平等条約を改正するまで:欧化政策・領事裁判権の撤廃・関税自主権の回復
- 日本と清は、なぜ戦争をすることになった? 朝鮮をめぐる対立
- 下関条約と三国干渉:日清戦争の後の日本と台湾
- 日本とロシアは、なぜ戦争をすることになった? 中国分割から日英同盟へ
- 日露戦争の結果:ポーツマス条約と、下関条約の賠償金のちがい
- 日本は、韓国をどのようにして植民地にした? 保護国化と韓国併合
- 清は、どのようにしてほろびた? 孫文と辛亥革命
- 日本の産業革命は、どの工業から始まった? 紡績業と製糸業
- 重工業の発展と、産業の発展が生んだ問題
- 明治時代の教育・科学と、近代文化の特色
- なぜ、日本は清やロシアと戦争をすることになった? 2列のステップチャートと年表
- まとめ
なぜ日本は、清やロシアと戦争をすることになった? 単元の全体像
📄 プリント1ページ
答え:欧米の列強がアジアやアフリカに植民地を広げる中、日本は不平等条約を改正して欧米と対等になろうとし、朝鮮や満州をめぐって、清(日清戦争。1894年)・ロシア(日露戦争。1904年)と戦いました。国内では産業革命が進み、新しい文化が生まれました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1886年 | ノルマントン号事件 |
| 1894年 | 領事裁判権の撤廃・日清戦争 |
| 1895年 | 下関条約・三国干渉 |
| 1902年 | 日英同盟 |
| 1904年 | 日露戦争 |
| 1905年 | ポーツマス条約 |
| 1910年 | 韓国併合 |
| 1911年 | 関税自主権の回復・辛亥革命 |
理由:前の単元では、明治政府が憲法をつくり、近代国家のしくみを整えたことを学びました。そのころ欧米の列強(強い国々)は、アジアやアフリカに植民地(ほかの国に支配された地域)を広げていました。日本は、前々の単元で学んだ不平等条約を改正して欧米と対等になろうとし、朝鮮や満州(中国の東北部)をめぐって清・ロシアと戦いました。この記事の見出しは、条約改正 → 日清戦争 → 日露戦争 → 韓国と中国 → 産業革命 → 近代文化 → まとめ、の順に進みます。
明治時代は1868〜1912年です。世紀の数え方:19世紀は1801〜1900年、20世紀は1901〜2000年です。
まちがえやすい
✕ 1900年は、20世紀のはじまりの年 → ◯ 1900年は19世紀(1801〜1900年)。20世紀は1901年から
基本日清戦争が始まった1894年と、日露戦争が始まった1904年は、それぞれ何世紀のできごとですか。
19世紀は1801〜1900年、20世紀は1901〜2000年です。1894年は1801〜1900年の中、1904年は1901〜2000年の中に入ります。
答え:日清戦争(1894年)=19世紀、日露戦争(1904年)=20世紀
標準日清戦争が始まってから、日露戦争が始まるまで、何年たちましたか。
年の差:1904−1894=10(年)
答え:10年
欧米の列強は、アジアやアフリカで何をしていた? 帝国主義と不平等条約
📄 プリント2ページ
答え:19世紀の終わりごろ、産業が発展した欧米の列強は、工場で使う原料と、できた製品を売る市場を求めて、軍事力でアジアやアフリカに植民地を広げました。この動きを帝国主義といいます。日本は、幕末に結んだ不平等条約(領事裁判権を認め、関税自主権が無い)の改正を、大きな目標にしました。
| 列強の国 | おもに進出した所 |
|---|---|
| イギリス | インド・アフリカの各地 |
| フランス | インドシナ(今のベトナムなど)・アフリカ |
| ドイツ | アフリカ・太平洋の島々 |
| アメリカ | ハワイ・フィリピン(1898年) |
| ロシア | シベリア鉄道をつくり、東アジアへ南下(北から南へ勢力をのばすこと)しようとした |
アフリカは、20世紀の初めには、エチオピアとリベリアを除くほとんどの地域が植民地になりました。
不平等条約の2つの中身:幕末に結んだ日米修好通商条約(1858年)などは、日本に不利な条約でした。大きな中身は2つあります。
| 中身 | 意味 | 日本が困ること |
|---|---|---|
| 領事裁判権を認める | 日本で罪をおかした外国人を、その国の領事が、その国の法律で裁く権利 | 外国人が罪をおかしても、日本の法律で裁けない |
| 関税自主権が無い | 輸入品にかける税の率を、自分の国で決める権利 | 税の率を日本だけで決められず、安い外国の品物が入っても、税を上げて国内の産業を守れない |
この条約の改正は、明治政府の大きな目標でした。岩倉使節団は条約改正の交渉をしましたが、成功しませんでした。領事裁判権と関税自主権のしくみは、中2社会「欧米の近代化とアジア侵略」でもくわしく解説しています。
覚え方:「列強は植民地を広げ、日本は不平等条約に苦しむ」。
まちがえやすい
✕ 領事裁判権とは、日本の裁判所が外国人を裁く権利のことだ → ◯ 外国人を、その国の領事がその国の法律で裁く権利。日本は外国人を裁けなかった
基本列強のうち、フランスとドイツが、おもに進出した所を、それぞれ答えなさい。
表の「おもに進出した所」の欄で確かめます。
答え:フランス=インドシナ・アフリカ、ドイツ=アフリカ・太平洋の島々
標準関税自主権が無いと、日本の国内の産業にとって何が困りますか。「税」「国内の産業」の2つの語を使って書きなさい。
関税自主権は、輸入品にかける税の率を自分の国で決める権利です。これが無いと、税の率を日本だけでは決められません。
答え:安い外国の品物が入ってきても、税を上げて国内の産業を守ることができない。
不平等条約を改正するまで:欧化政策・領事裁判権の撤廃・関税自主権の回復
📄 プリント3ページ
答え:1894年、外務大臣の陸奥宗光がイギリスと日英通商航海条約を結んで、領事裁判権の撤廃に成功しました(関税自主権も一部回復)。1911年には、外務大臣の小村寿太郎がアメリカとの条約で関税自主権を完全に回復し、日本は欧米と対等な立場になりました。
欧化政策(1880年代):政府の井上馨は、日本が欧米と同じように近代化したことを示そうとして、東京に鹿鳴館(1883年)を建てて舞踏会を開くなど、欧米の制度や生活様式を取り入れました。これを欧化政策といいます。しかし、国民からは強い批判を受け、条約の改正も成功しませんでした。
ノルマントン号事件(1886年):イギリスの貨物船ノルマントン号が和歌山県の沖で沈み、イギリス人の船長や乗組員はボートで助かりましたが、日本人の乗客は全員が亡くなりました。船長は、イギリスの領事による裁判で軽い罰しか受けず、領事裁判権の撤廃を求める声(世論)が高まりました。
| 改正した物 | 年 | 外務大臣 | 相手の国 | 後おししたこと |
|---|---|---|---|---|
| 領事裁判権の撤廃 | 1894年 | 陸奥宗光 | イギリス | ロシアを警戒したイギリスの接近。憲法や法律の整備 |
| 関税自主権の回復 | 1911年 | 小村寿太郎 | アメリカ | 日清・日露戦争の勝利で、国際的な地位が上がった |
1894年は日清戦争の直前でした。ロシアの南下を警戒するイギリスが、日本との関係を良くしようとして、改正に応じました。
覚え方:「陸奥が領事裁判、小村が関税」。
まちがえやすい
✕ 関税自主権は、1894年に陸奥宗光が完全に回復した → ◯ 1894年は領事裁判権の撤廃(関税自主権は一部だけ)。完全な回復は1911年の小村寿太郎
基本1894年に領事裁判権の撤廃に成功した外務大臣はだれですか。また、条約を結んだ相手の国はどこですか。
改正した物の表の「領事裁判権の撤廃」の行で確かめます。
答え:陸奥宗光、イギリス
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 関税自主権の完全な回復 イ ノルマントン号事件 ウ 鹿鳴館の建設 エ 領事裁判権の撤廃
年を書き出します。ウ 1883年、イ 1886年、エ 1894年、ア 1911年。
答え:ウ → イ → エ → ア
日本と清は、なぜ戦争をすることになった? 朝鮮をめぐる対立
📄 プリント4ページ
答え:日本は朝鮮に勢力をのばそうとし、朝鮮を自分に従う国(属国)とみる清と対立しました。1894年に朝鮮で甲午農民戦争が起こると両国が兵を送り、日清戦争が始まって、近代的な軍隊を整えた日本が勝ちました。
前の単元で学んだ日朝修好条規(1876年)のあと、日本は朝鮮に勢力をのばそうとしました。朝鮮をめぐる3つの国のようすは、次のとおりです。
| 国 | 朝鮮への考え |
|---|---|
| 日本 | 勢力をのばしたい |
| 清 | 朝鮮は自分に従う国 |
| ロシア | 朝鮮の北にある大国で、南下をねらっている |
甲午農民戦争(1894年):朝鮮で、東学という宗教を信仰する人々を中心とした農民が、政治の改革と外国の勢力の排除を求めて起こした反乱です。朝鮮の政府が清に兵を送るよう求めると、日本も対抗して兵を送りました。反乱がおさまった後も、両国の軍は朝鮮にとどまって対立しました。
覚え方:「朝鮮をめぐって、日本と清が対立」。
まちがえやすい
✕ 日清戦争は、日本と清が満州をめぐって争った戦争だ → ◯ 朝鮮をめぐって争った戦争(満州をめぐる対立は日露戦争)
基本清は、朝鮮のことをどのような国とみていましたか。
表の「清」の行で確かめます。
答え:自分に従う国(属国)
標準日清戦争の前、朝鮮をめぐって、日本・清のほかにもう1つ、ある国が動いていました。その国の名前と、その国がねらっていたことを答えなさい。
朝鮮の北にある大国です。表の3つの国のうち、日本と清以外の行を見ます。
答え:ロシア。南下をねらっていた。
下関条約と三国干渉:日清戦争の後の日本と台湾
📄 プリント5ページ
答え:1895年、日本と清は山口県の下関で下関条約を結びました(日本の代表は伊藤博文と陸奥宗光)。清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本にゆずり、多額の賠償金(戦争に負けた国が支払うお金)を支払いました。
| 下関条約の内容 | 中身 |
|---|---|
| ① 朝鮮 | 清は朝鮮の独立を認める |
| ② 土地 | 清は遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本にゆずる |
| ③ お金 | 清は日本に多額の賠償金を支払う |
台湾の植民地支配:日本は、台湾に台湾総督府を置いて、植民地として治めました。台湾の人々の抵抗を、軍隊でおさえました。
三国干渉:下関条約で日本が遼東半島を得ると、次のことが起こりました。
- ロシア・ドイツ・フランスの3国が、遼東半島を清に返すよう日本に求めた(三国干渉)
- 日本は、3国に対抗する力が無かったので、これを受け入れた
- 国民の間でロシアへの反感が強まり、政府は、賠償金の多くを使って、ロシアに対抗するための軍備の拡張を進めた
- 賠償金の一部は、八幡製鉄所の建設にも使った
こうして、三国干渉で、日本とロシアの対立が始まりました。
覚え方:「下関で台湾、三国干渉で遼東半島を返す」。
まちがえやすい
✕ 返還を求めたのは、イギリス・アメリカ・ロシアだ → ◯ ロシア・ドイツ・フランス
基本三国干渉で、日本に遼東半島を清に返すよう求めた3つの国を答えなさい。
三国干渉の説明の最初の項目で確かめます。
答え:ロシア・ドイツ・フランス
標準下関条約で台湾を得た日本は、台湾をどのように治めましたか。「植民地」「軍隊」の2つの語を使って書きなさい。
台湾の植民地支配の説明で確かめます。治めるための役所を置き、人々の抵抗にも対応しました。
答え:台湾総督府を置いて植民地として治め、台湾の人々の抵抗を軍隊でおさえた。
日本とロシアは、なぜ戦争をすることになった? 中国分割から日英同盟へ
📄 プリント6ページ
答え:三国干渉の後、ロシアは東アジアへの進出を強めました。韓国に勢力をのばそうとする日本と、満州に軍をとどめるロシアの対立が深まり、日本は1902年にロシアの南下を警戒するイギリスと日英同盟を結んで、1904年に日露戦争が始まりました。
日清戦争で清の弱さが分かると、列強は清から、港を借りる権利(租借)や鉄道をしく権利を得て、勢力範囲を広げました(列強の中国分割)。ロシアのほか、ドイツ・イギリス・フランスも港を租借しました。
- 1898年 ロシアが、日本が返した遼東半島の旅順・大連を租借する
- 1900年 義和団事件が起こり、その後もロシアが満州に大軍をとどめる
- 1902年 日本が、イギリスと日英同盟を結ぶ
- 1904年 日露戦争が始まる
義和団事件は、外国の勢力を追い出そうとする義和団が北京の各国の公使館を取り囲み、日本やロシアなどの連合軍がしずめた事件です。朝鮮は1897年に国名を大韓帝国(韓国)に改めていました。
| 日清戦争 | 日露戦争 | |
|---|---|---|
| 争いの中心 | 朝鮮 | 韓国(朝鮮)と満州 |
| 始まる前のできごと | 甲午農民戦争で、日本と清が朝鮮に兵を送った | 義和団事件の後もロシアが満州に軍をとどめ、日本がイギリスと日英同盟を結んだ |
開戦論と非戦論:三国干渉でロシアへの反感が強まった国内では、ロシアとの戦争を求める声が強まりました。一方、戦争に反対する人もいました。
| 人物 | 立場・したこと |
|---|---|
| 内村鑑三 | キリスト教徒。戦争に反対した |
| 幸徳秋水 | 社会主義(貧富の差をなくそうとする考え)の人。戦争に反対した |
| 与謝野晶子 | 歌人。日露戦争が始まると、戦場にいる弟を思う詩「君死にたまふことなかれ」を発表した |
覚え方:「満州のロシアに、日英同盟で備える」。
まちがえやすい
✕ 日英同盟は、イギリスがフランスに対抗するために日本と結んだ → ◯ ロシアの南下を警戒して結んだ
基本日露戦争に反対した人のうち、キリスト教徒の人物と、社会主義の人物を、それぞれ答えなさい。
開戦論と非戦論の表で確かめます。
答え:キリスト教徒=内村鑑三、社会主義の人物=幸徳秋水
標準次のア〜エを、日清戦争が始まる前のできごとと、日露戦争が始まる前のできごとに分けなさい。ア 義和団事件の後も、ロシアが満州に軍をとどめた イ 日本と清が、朝鮮に兵を送った ウ 日本が、イギリスと同盟を結んだ エ 朝鮮をめぐって、日本と清が対立した
日清戦争と日露戦争のくらべの表の「始まる前のできごと」と「争いの中心」で確かめます。
答え:日清戦争の前=イ・エ、日露戦争の前=ア・ウ
標準次のできごとを、古い順に並べなさい。ア 日英同盟 イ 日清戦争が始まる ウ ロシアが旅順・大連を租借する エ 義和団事件
年を書き出します。イ 1894年、ウ 1898年、エ 1900年、ア 1902年。
答え:イ → ウ → エ → ア
日露戦争の結果:ポーツマス条約と、下関条約の賠償金のちがい
📄 プリント7ページ
答え:1905年、アメリカの仲立ちでポーツマス条約が結ばれました(日本の代表は小村寿太郎)。ロシアは韓国での日本の優越を認め、旅順・大連の租借権と長春から南の鉄道の権利、北緯50度より南の樺太を日本にゆずりましたが、賠償金は得られませんでした。下関条約(清)では賠償金がありました。
1904年に日露戦争が始まり、日本は勝利を続けましたが、日清戦争よりもずっと多くの兵士が死傷し、戦争の費用もずっと多くかかりました。費用は、国民への増税と、国内や外国からの借金でまかないました。日本も、国内で革命の動きが起こったロシアも、戦争を続けることがむずかしくなりました。
| 下関条約(1895年・清) | ポーツマス条約(1905年・ロシア) | |
|---|---|---|
| 得た土地や権利 | 遼東半島(後に返す)・台湾・澎湖諸島 | 韓国での優越・旅順と大連の租借権・長春から南の鉄道・北緯50度より南の樺太 |
| 賠償金 | あり | なし |
日比谷焼き打ち事件:増税などの重い負担にたえた国民は、賠償金が得られないことを知って講和に強く反対し、東京の日比谷の集会をきっかけに暴動が起こりました。
日露戦争の影響:アジアの国の日本が欧米の大国ロシアに勝ったことは、欧米の支配を受けていたアジアの人々に刺激をあたえました。日本は列強の一員としての地位を固め、1911年の関税自主権の回復につながりましたが、一方で、韓国や満州への進出を強めました。
覚え方:「ポーツマスで樺太の南、賠償金は無し」。
まちがえやすい
✕ ポーツマス条約で、遼東半島と台湾を得た → ◯ それは下関条約。ポーツマス条約で得たのは、韓国での優越・旅順と大連の租借権・長春から南の鉄道・北緯50度より南の樺太
基本下関条約が結ばれた1895年と、ポーツマス条約が結ばれた1905年は、それぞれ何世紀のできごとですか。
19世紀は1801〜1900年、20世紀は1901〜2000年です。1895年は1801〜1900年の中、1905年は1901〜2000年の中に入ります。
答え:下関条約(1895年)=19世紀、ポーツマス条約(1905年)=20世紀
標準次のア〜エのうち、下関条約で日本が得た物と、ポーツマス条約で日本が得た物を、それぞれすべて選びなさい。ア 台湾 イ 北緯50度より南の樺太 ウ 賠償金 エ 長春から南の鉄道の権利
下関条約とポーツマス条約をくらべた表で、1つずつ確かめます。台湾は下関条約、樺太の南と鉄道はポーツマス条約です。賠償金は、下関条約では「あり」、ポーツマス条約では「なし」です。
答え:下関条約=ア・ウ、ポーツマス条約=イ・エ
標準日露戦争の後、日本が列強の一員としての地位を固めたことは、条約改正のどのできごとにつながりましたか。
日露戦争の影響の説明と、条約を改正した年の表で確かめます。
答え:1911年の関税自主権の回復(小村寿太郎がアメリカとの条約で完全に回復した)
日本は、韓国をどのようにして植民地にした? 保護国化と韓国併合
📄 プリント8ページ
答え:ポーツマス条約でロシアが韓国での日本の優越を認めた後、日本は1905年に韓国を保護国にして統監府を置き、1910年に韓国を併合して植民地にし、朝鮮総督府を置いて治めました。
- 1897年 朝鮮が国名を大韓帝国に改める
- 1905年 日本が韓国を保護国(外交の権利をうばわれ、日本に動かされる国)にして、統監府を置く
- 1909年 伊藤博文が、韓国の独立運動家の安重根に暗殺される
- 1910年 日本が韓国を併合する
統監府は、韓国の外交などを動かす役所で、初代の統監は伊藤博文でした。
義兵運動:韓国では、日本の支配に反対する人々が各地で立ち上がりました。外国の支配に抵抗して立ち上がった人々を義兵といいます。日本は、これを軍隊でおさえました。
植民地支配のようす:学校では日本語や日本の歴史を教え、朝鮮の歴史を教えることを制限しました。土地の調査では、土地の持ち主であることを証明できず、土地を失う人々も出ました。
| 1905年 | 1910年 | |
|---|---|---|
| 日本がしたこと | 保護国にする | 併合して植民地にする |
| 置いた役所 | 統監府 | 朝鮮総督府 |
覚え方:「保護国で統監府、併合で総督府」。
まちがえやすい
✕ 日露戦争の直後に、日本は韓国を併合した → ◯ 1905年は保護国にして外交の権利をうばった。併合は1910年
基本保護国とは、どのような国のことですか。
1905年の説明の中に、意味が書いてあります。
答え:外交の権利をうばわれ、ほかの国(このときは日本)に動かされる国
標準日本が韓国を保護国にした年と、併合した年を答えなさい。また、それぞれの年に日本が置いた役所も答えなさい。
1905年と1910年のくらべの表で確かめます。
答え:保護国=1905年(統監府)、併合=1910年(朝鮮総督府)
清は、どのようにしてほろびた? 孫文と辛亥革命
📄 プリント9ページ
答え:日清戦争の後に力が弱まった清では、孫文を中心に清をたおす革命運動が広がりました。1911年に辛亥革命が起こり、1912年に孫文を臨時大総統として南京を首都とする中華民国が建国され、清の皇帝が退位して清がほろびました。
清は、日清戦争の後に列強に港を租借され、義和団事件も起こって、力が弱まりました。孫文は、三民主義をとなえました。
| 三民主義 | 意味 |
|---|---|
| 民族 | 民族の独立 |
| 民権 | 民主政治の実現 |
| 民生 | 国民の生活の安定 |
- 1911年 武昌(今の武漢)で、軍隊が反乱を起こす
- 1911年 革命が各地に広がり、多くの省が清からの独立を宣言する
- 1912年 孫文を臨時大総統として、南京を首都とする中華民国が建国される
- 1912年 清の皇帝が退位して、清がほろびる
- その後 北京の軍の実力者の袁世凱が大総統になり、独裁的な政治を行う
中華民国は、皇帝や王がいない国(共和国)としては、アジアで最初の国です。
日本の満州への進出:1906年、日本は南満州鉄道株式会社(満鉄)をつくり、ポーツマス条約で得た鉄道を経営して、満州への進出を進めました。
| 年 | 中国 | 日本 |
|---|---|---|
| 1911年 | 辛亥革命が起こる | 関税自主権を完全に回復する |
| 1912年 | 中華民国が建国され、清がほろびる | 明治時代が終わる |
覚え方:「孫文の三民主義、辛亥革命で中華民国」。
まちがえやすい
✕ 中華民国は、清の皇帝を中心とする国として建国された → ◯ 皇帝のいない共和国。清の皇帝は退位した
基本三民主義の「民権」と「民生」は、それぞれ何を表していますか。
三民主義の表で確かめます。
答え:民権=民主政治の実現、民生=国民の生活の安定
標準清がほろびて中華民国が建国された年に、日本では何が終わりましたか。また、その年は何世紀ですか。
1912年の行で確かめます。20世紀は1901〜2000年なので、1912年はこの範囲に入ります。
答え:明治時代が終わった。1912年は20世紀。
日本の産業革命は、どの工業から始まった? 紡績業と製糸業
📄 プリント10ページ
答え:日本の産業革命は、1880年代の後半から、糸や布など、くらしに身近な物をつくる軽工業を中心に進みました。綿花から綿糸をつくる紡績業と、蚕のまゆから生糸をつくる製糸業で、機械を使う大工場が増えました。
| 工業 | 原料 | 製品 | おもな場所 | 製品の行き先 |
|---|---|---|---|---|
| 紡績業 | 綿花 | 綿糸 | 大阪など | 国内と、中国・朝鮮へ |
| 製糸業 | 蚕のまゆ | 生糸 | 長野県・群馬県など | おもにアメリカへ(日本の最大の輸出品) |
- 輸入した機械を使う大工場が、大阪などにつくられ、綿糸の生産が始まる
- 1890年ごろ 綿糸の国内の生産量が、輸入量を上回る
- 日清戦争の後 綿糸の輸出量が、輸入量を上回る
生糸の輸出量は、1909年には世界一になりました。
工場で働いた人々:工場で働く人の多くは、農村から来た若い女性で、長い時間、安い賃金で働く人が多くいました。
財閥:三井・三菱・住友・安田などの資本家が、銀行・鉱山・貿易・工業など、多くの業種の会社を経営して、日本の経済を動かすようになりました。これを財閥といいます。
資料を読み取る考え方:知識として正しくても、資料に書いていないことは選びません。例えば、町の広報に「図書館の利用者が増えたが、本だなが足りない」と書いてあるとき、「利用者が増えた」は読み取れますが、「本の値段が上がった」は書いていないので選べません。
覚え方:「綿は紡績、まゆは製糸」。
まちがえやすい
✕ 製糸業は、綿花から綿糸をつくる工業だ → ◯ それは紡績業。製糸業は、蚕のまゆから生糸をつくる
標準製糸業の原料・製品・おもな場所・製品の行き先を答えなさい。
表の「製糸業」の行で確かめます。
答え:原料=蚕のまゆ、製品=生糸、おもな場所=長野県・群馬県など、行き先=おもにアメリカ
標準綿糸について、次のア〜ウを古い順に並べなさい。ア 輸出量が、輸入量を上回る イ 輸入した機械を使う大工場が大阪などにつくられ、生産が始まる ウ 国内の生産量が、輸入量を上回る
箇条書きの順に確かめます。イ → ウ(1890年ごろ)→ ア(日清戦争の後)の順です。
答え:イ → ウ → ア
標準ある工場の記録に、「綿糸の生産量が年々ふえたが、働く人の住む部屋がせまい」と書かれていました。次のア〜ウのうち、この記録から読み取れることを1つ選びなさい。ア 綿糸の生産量がふえた イ 働く人の賃金が上がった ウ 工場が大阪にある
記録に書いてあることだけを選びます。生産量がふえたことは書いてありますが、賃金と工場の場所は書いてありません。
答え:ア
重工業の発展と、産業の発展が生んだ問題
📄 プリント11ページ
答え:軽工業の次に、日露戦争の後には、鉄鋼・造船・機械など、重い物をつくる重工業が発展しました。官営の八幡製鉄所は、1901年に操業を始めました。一方で、工場で働く人々の労働問題や、足尾銅山鉱毒事件のような公害も生まれました。
八幡製鉄所:日清戦争の賠償金の一部を使って、政府が福岡県(今の北九州市)に建てた官営の製鉄所です。1901年に操業を始め、近くの筑豊炭田の石炭と、中国から輸入した鉄鉱石を使って、鉄鋼をつくりました。工場の場所は、原料や燃料が近くで手に入る所から考えます。
労働問題:工場で働く人々の長時間労働や低い賃金が問題になりました。人々は労働組合をつくり、賃金の引き上げや労働時間の短縮を求めて、ストライキ(労働争議)を起こしました。1911年には、子どもを工場で働かせることや長時間の労働を制限する工場法が定められました(内容は不十分でした)。社会主義の運動はきびしく取りしまられ、1910年の大逆事件で幸徳秋水らが処刑されました。
足尾銅山鉱毒事件:栃木県の足尾銅山から出た鉱毒が渡良瀬川に流れ、下流の田畑や川の魚に大きな被害が出た事件です。衆議院議員の田中正造が、議会で取り上げて、銅山の操業の停止と被害を受けた人々の救済を求めました。日本の公害の原点といわれます。
覚え方:「八幡で鉄、足尾で鉱毒」。
まちがえやすい
✕ 八幡製鉄所は、生糸や綿糸をつくる軽工業の工場だ → ◯ 鉄鋼をつくる重工業の工場
標準次のア〜エを、軽工業と重工業に分けなさい。ア 紡績業 イ 造船 ウ 製糸業 エ 鉄鋼
糸や布などをつくるのが軽工業、鉄鋼・造船・機械などをつくるのが重工業です。
答え:軽工業=ア・ウ、重工業=イ・エ
基本足尾銅山から出た鉱毒が流れこんだ川はどこですか。また、足尾銅山は何県にありますか。
足尾銅山鉱毒事件の説明で確かめます。
答え:渡良瀬川、栃木県
標準労働組合をつくった人々が、賃金の引き上げや労働時間の短縮を求めて起こしたことを何といいますか。
労働問題の説明で確かめます。
答え:ストライキ(労働争議)
明治時代の教育・科学と、近代文化の特色
📄 プリント12・13ページ
答え:学制の後、小学校に通う子どもが増え、明治時代の終わりにはほとんどの子どもが通うようになりました。欧米の学問を学んだ日本人が世界で認められる研究をし、文化では、欧米の文化を取り入れながら日本の伝統的な文化も見直して、新しい文化(近代文化)がつくられました。
| 年 | 教育のできごと |
|---|---|
| 1872年 | 学制が出される |
| 1890年 | 教育勅語が出され、忠君愛国(天皇に忠義をつくし国を愛すること)の道徳が教えられる |
| 1900年 | 津田梅子が女子英学塾を開く |
| 1907年 | 義務教育の期間が延びる |
自然科学:感染症(細菌などがうつって起こる病気)の研究は、多くの人の命を救うことにつながりました。
| 人物 | 研究 |
|---|---|
| 北里柴三郎 | 破傷風の治療の方法(血清療法)を発見し、ペスト菌を発見した |
| 志賀潔 | 赤痢菌を発見した |
| 野口英世 | 黄熱病の研究をした(アフリカで研究中に亡くなった) |
メディアの発達:新聞や雑誌が多く発行され、人々は国内や世界のできごとを知るようになりました。日清・日露戦争のようすも、新聞で伝えられました。電信や電話も広まりました。
美術・音楽・文学:芸術でも新しい動きが起こりました。
| 分野 | 人物 | 作品・特色 |
|---|---|---|
| 日本画 | フェノロサ(アメリカ人)・岡倉天心 | 日本の伝統的な美術の価値を見直し、その復興に努めた |
| 日本画 | 横山大観 | 伝統をふまえた新しい日本画をえがいた |
| 西洋画 | 黒田清輝 | フランスで学んだ、明るい色の西洋画をえがいた |
| 彫刻 | 高村光雲 | 伝統的な木彫りの技術で「老猿」をつくった |
| 音楽 | 滝廉太郎 | 「荒城の月」「花」を作曲した(学校では唱歌が教えられた) |
| 文学 | 二葉亭四迷 | 「浮雲」 |
| 文学 | 樋口一葉 | 「たけくらべ」 |
| 文学 | 森鷗外 | 「舞姫」 |
| 文学 | 夏目漱石 | 「坊っちゃん」「吾輩は猫である」 |
| 詩歌 | 正岡子規・与謝野晶子 | 子規は俳句や短歌を新しくし、晶子は「みだれ髪」で情熱的な短歌をよんだ |
言文一致:話し言葉に近い文で文章を書くことです。二葉亭四迷の「浮雲」などで広まりました。
明治時代の文化の特色:欧米の文化を取り入れながら、日本の伝統的な文化も見直して、新しい文化(近代文化)がつくられました。
覚え方:「北里はペスト、志賀は赤痢、野口は黄熱病」「欧米に学び、伝統を見直す」。
まちがえやすい
✕ 北里柴三郎は、黄熱病の研究をアフリカで行った → ◯ それは野口英世。北里柴三郎は、破傷風の血清療法とペスト菌の発見
基本赤痢菌を発見した人物と、黄熱病の研究をした人物を、それぞれ答えなさい。
自然科学の表で確かめます。
答え:赤痢菌=志賀潔、黄熱病=野口英世
基本「たけくらべ」と「舞姫」を書いた人物を、それぞれ答えなさい。
美術・音楽・文学の表の「文学」の行で確かめます。
答え:「たけくらべ」=樋口一葉、「舞姫」=森鷗外
標準黒田清輝がえがいた西洋画と、横山大観がえがいた日本画は、明治時代の文化の特色の「欧米の文化を取り入れる」「伝統を生かす」のどちらにあたりますか。それぞれ答えなさい。
黒田清輝はフランスで学んだ明るい色の西洋画、横山大観は伝統をふまえた新しい日本画をえがきました。
答え:黒田清輝=欧米の文化を取り入れる、横山大観=伝統を生かす
なぜ、日本は清やロシアと戦争をすることになった? 2列のステップチャートと年表
📄 プリント14ページ
答え:欧米の列強がアジアに進出する中、日本は朝鮮(韓国)に勢力をのばそうとして、清と日清戦争、ロシアと日露戦争を戦いました。どちらも、朝鮮(韓国)をめぐる争いが戦争のもとになりました。
| 日清戦争の列 | 日露戦争の列 |
|---|---|
| 日本が朝鮮に勢力をのばそうとする | 1895年 三国干渉で遼東半島を返す |
| 朝鮮を自分に従う国とみる清と対立 | 1898年 ロシアが旅順・大連を租借 |
| 1894年 甲午農民戦争で両国が兵を送る | 1900年 義和団事件の後、ロシアが満州に軍をとどめる |
| 1894年 日清戦争が始まる | 1902年 日英同盟を結ぶ |
| 1895年 下関条約を結ぶ | 1904年 日露戦争が始まる |
| 台湾総督府を置いて、台湾を治める | 1905年 ポーツマス条約を結ぶ |
どちらの列にも、はじめに「欧米の列強のアジア進出(帝国主義)」があります。2つの列に共通するのは、朝鮮(韓国)をめぐる日本と清・ロシアの対立で、日露戦争の後、日本は韓国を植民地にしました。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1886年 | ノルマントン号事件 | 1902年 | 日英同盟 |
| 1894年 | 領事裁判権の撤廃・甲午農民戦争・日清戦争 | 1904年 | 日露戦争 |
| 1895年 | 下関条約・三国干渉 | 1905年 | ポーツマス条約 |
| 1900年 | 義和団事件 | 1910年 | 韓国併合 |
| 1901年 | 八幡製鉄所が操業を始める | 1911年 | 関税自主権の回復・辛亥革命 |
| 1912年 | 中華民国の建国 |
問いの答えの例:欧米の列強がアジアに進出する中、日本は朝鮮に勢力をのばそうとして、朝鮮を自分に従う国とみる清と対立し、日清戦争になりました。その後、三国干渉で日本に遼東半島を返させたロシアが、旅順・大連を租借し、満州に軍をとどめたので、韓国と満州をめぐって日本とロシアが対立し、日英同盟を結んだ日本は日露戦争を始めました。
まちがえやすい
✕ 日露戦争は、日清戦争とは関係なく始まった → ◯ 日清戦争の後の三国干渉で、日本とロシアの対立が始まった
標準ノルマントン号事件が起こった1886年から、中華民国が建国された1912年まで、何年たちましたか。
年の差:1912−1886=26(年)
答え:26年
標準日露戦争の列で、日本が三国干渉を受け入れた年から、ロシアが旅順・大連を租借した年まで、何年たちましたか。
ステップチャートの日露戦争の列で、年を確かめます。三国干渉は1895年、旅順・大連の租借は1898年です。
年の差:1898−1895=3(年)
答え:3年
✅ 一問一答で総チェック(20問)
問題を読んで、答えを頭の中で言ってからタップしましょう。答えが出ます。
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19世紀の終わりごろ、欧米の列強が、原料と製品を売る市場を求めて、軍事力でアジアやアフリカに植民地を広げた動きを何といいますか。
答え:帝国主義
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日本で罪をおかした外国人を、その国の領事が、その国の法律で裁く権利を何といいますか。
答え:領事裁判権
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輸入品にかける税の率を、自分の国で決める権利を何といいますか。
答え:関税自主権
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1883年に東京に建てられ、舞踏会が開かれた、欧米の制度や生活様式を取り入れた洋風の建物を何といいますか。
答え:鹿鳴館
-
1894年にイギリスと日英通商航海条約を結び、領事裁判権の撤廃に成功した外務大臣はだれですか。
答え:陸奥宗光
-
1911年にアメリカとの条約で、関税自主権を完全に回復した外務大臣はだれですか。
答え:小村寿太郎
-
1894年に朝鮮で、東学を信仰する人々を中心とした農民が、政治の改革と外国の勢力の排除を求めて起こした反乱を何といいますか。
答え:甲午農民戦争
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1895年に日本と清が結んだ、日清戦争の講和条約を何といいますか。
答え:下関条約
-
日本が、台湾を植民地として治めるために置いた役所を何といいますか。
答え:台湾総督府
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ロシア・ドイツ・フランスが、日本に遼東半島を清に返すよう求めたことを何といいますか。
答え:三国干渉
-
1902年に、ロシアの南下を警戒するイギリスと日本が結んだ同盟を何といいますか。
答え:日英同盟
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1905年に、アメリカの仲立ちで結ばれた、日露戦争の講和条約を何といいますか。
答え:ポーツマス条約
-
日清戦争の講和条約では得られたが、日露戦争の講和条約では得られなかった、戦争に負けた国が支払うお金を何といいますか。
答え:賠償金
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日露戦争の講和条約で、お金が得られないことを知った国民が、東京の集会をきっかけに起こした暴動を何といいますか。
答え:日比谷焼き打ち事件
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1905年に日本が韓国を保護国にして置いた、韓国の外交などを動かす役所を何といいますか。
答え:統監府
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1910年に、日本が韓国を植民地にしたことを何といいますか。
答え:韓国併合
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民族・民権・民生の三民主義をとなえ、清をたおす革命運動の中心になった人物はだれですか。
答え:孫文
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1911年に、武昌の軍隊の反乱から各地に広がり、清をたおした革命を何といいますか。
答え:辛亥革命
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綿花から綿糸をつくる工業を何といいますか。
答え:紡績業
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日清戦争の賠償金の一部を使って福岡県に建てられ、1901年に操業を始めた官営の製鉄所を何といいますか。
答え:八幡製鉄所
まとめ
欧米の列強がアジアに植民地を広げる中、日本は不平等条約の改正をめざし、1894年に陸奥宗光が領事裁判権の撤廃に成功、1911年に小村寿太郎が関税自主権を完全に回復しました。朝鮮をめぐって清と対立した日本は、1894年に日清戦争を始めて勝ち、1895年の下関条約で、朝鮮の独立・遼東半島(三国干渉で返す)・台湾・澎湖諸島・賠償金を得ました。ロシアとは、日英同盟(1902年)を結んで1904年に日露戦争を戦い、1905年のポーツマス条約で、韓国での優越・旅順と大連の租借権・樺太の南などを得ましたが、賠償金は得られず、国民の負担は重くなりました。日本は、1905年に韓国を保護国にし、1910年に併合しました。清では1911年に辛亥革命が起こり、1912年に中華民国が建国されました。国内では、紡績業・製糸業の軽工業から重工業へと産業革命が進み、労働問題や足尾銅山鉱毒事件も起こりました。文化では、欧米の文化を取り入れながら、伝統も見直した近代文化がつくられました。プリントの確認問題で、年号の順と記述を手を動かして練習してみてください。
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説明 1〜14ページ/確認問題 15〜17ページ/覚えることの一覧 18ページ/答えと解説 19・20ページ

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