⏱ 30秒でわかる この単元の要点
- 1333年に鎌倉幕府がほろび、建武の新政のあと、京都の北朝と吉野の南朝が約60年争った(南北朝時代)。1392年に足利義満が統一した
- 室町幕府は1338年に足利尊氏が京都に開き、将軍を助ける役は管領。守護は権限を強めて国を支配する守護大名になった
- 足利義満が倭寇を取りしまり、勘合を使う日明貿易を1404年に始めた。朝鮮とは宗氏が仲立ちの日朝貿易、琉球王国は中継貿易で栄えた
- 農業・商業が発達し、村では惣と寄合、土一揆や町衆の自治が起きた。1467年の応仁の乱で幕府の力が弱まり、下剋上が広まって戦国大名が現れた
- 金閣は3代将軍足利義満の北山文化、銀閣は8代将軍足利義政の東山文化。室町文化は武家と公家の文化がとけ合い、書院造・水墨画・能や狂言が生まれた
つまずき注意:南北朝時代は室町時代の前半と重なる。銀閣には銀ぱくがはられていない。勘合は正式な貿易船が持ち、倭寇と区別するためのもの。
中1社会(歴史)の「鎌倉幕府がほろびたあと、戦国時代になるまで」を、年表・地図・表と例題で1つずつ確かめるページです。室町幕府のしくみ、応仁の乱、金閣と銀閣のちがいなどを通して、「中世の日本で、民衆はなぜ力をもつようになった?」という問いに答えます。どの見出しも「答え → 図 → 理由 → 解き方」の順に書いています。紙に書いて練習したい人は、下の無料プリントを使ってください。
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説明 1〜12ページ/確認問題 13〜15ページ/覚えることの一覧 16ページ/答えと解説 17・18ページ。この記事の見出しごとに、対応するページを書いています。
鎌倉幕府がほろびたあと、なぜ朝廷が2つに分かれた?
📄 プリント1・2ページ
答え:1333年に鎌倉幕府がほろび、後醍醐天皇が始めた建武の新政が2年ほどでくずれたあと、京都の北朝と吉野の南朝に分かれて、約60年間争いました(南北朝時代)。1392年に3代将軍の足利義満が、南朝と北朝を1つにまとめました。
| 1333年 | 1334年 | 1338年 | 1392年 | 1404年 | 1428年・1429年 | 1467年 | このあと |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 鎌倉幕府がほろびる | 建武の新政 | 尊氏が征夷大将軍に | 南北朝の統一 | 日明貿易 | 正長の土一揆・琉球王国 | 応仁の乱 | 戦国時代 |
- 1333年、後醍醐天皇が、足利尊氏や楠木正成らを味方にして、鎌倉幕府をほろぼす(尊氏は、もとは鎌倉幕府の有力な御家人)
- 1334年、天皇中心の政治(建武の新政)を始める → 公家(貴族)を重んじたため、武士の不満が高まり、2年ほどでくずれる
- 尊氏が兵を挙げ、京都に新しい天皇を立てる(北朝)。後醍醐天皇は吉野(今の奈良県)にのがれる(南朝)
- 2つの朝廷が全国の武士に味方をよびかけ、約60年間争う(南北朝時代)
- 1392年、3代将軍足利義満が、南朝と北朝を1つにまとめる(南北朝の統一)
理由(時代の関係):南北朝時代は、次に学ぶ室町時代と別の時代ではありません。室町時代の前半と重なっています。覚え方は「京都の北朝、吉野の南朝」です。
まちがえやすい
✕ 南北朝時代が終わってから室町時代が始まった → ◯ 室町時代の前半と重なる
基本後醍醐天皇が、のがれた先の吉野につくった朝廷を、何といいますか。
京都の朝廷が北朝、吉野の朝廷が南朝です。
答え:南朝
標準次のできごとを、年代の古い順に並べなさい。ア 建武の新政が始まる イ 鎌倉幕府がほろびる ウ 南北朝が統一される
イは1333年、アは1334年、ウは1392年です。
答え:イ → ア → ウ
理由南北朝時代と室町時代は、別々の時代ですか。年代の帯からどう分かるか、説明しなさい。
「前半」「重なっている」を入れて書きます。
答え:別々の時代ではなく、南北朝時代は室町時代の前半と重なっている。
室町幕府は、鎌倉幕府とどこがちがった?
📄 プリント3ページ
答え:1338年に足利尊氏が京都に開いた室町幕府では、将軍を助ける役が管領で、南北朝の争いの中で守護が権限を強め、国を自分の領地のように支配する守護大名になりました。鎌倉幕府は、将軍を助ける役が執権(北条氏)でした。
室町幕府ができる:1338年、足利尊氏は北朝から征夷大将軍に任命され、京都に幕府を開きました。3代将軍の足利義満が、京都の室町に御所(将軍の住まい)を建てて政治を行ったので、この幕府を室町幕府とよびます。室町幕府は京都に開かれた武士の政権で、室町時代は室町幕府があった時代です。
守護から守護大名へ:
- 南北朝の争いで、全国の武士が二つに分かれて争う
- 幕府は、味方の武士を集めるため、守護に大きな権限(国内の武士をまとめる・荘園の年貢の半分を取り立てる)をあたえる
- 守護が国内の武士を家来にし、国を自分の領地のように支配する
| 鎌倉幕府 | 室町幕府 | |
|---|---|---|
| 幕府の場所 | 鎌倉 | 京都 |
| 将軍を助ける役 | 執権(北条氏) | 管領(細川氏など) |
| 将軍を支えた人々 | 御恩と奉公で結ばれた御家人 | 有力な守護大名 |
| 地方の守護 | 国ごとに置き、軍事・警察 | 権限を強め、国を支配 |
| 関東 | ― | 鎌倉府 |
覚え方:「鎌倉は執権、室町は管領」。
まちがえやすい
✕ 室町幕府の守護は、鎌倉幕府の守護と同じく、軍事・警察の役目だけだった → ◯ 権限を強めて守護大名になり、国を支配した
基本室町幕府で、将軍を助ける役を何といいますか。
鎌倉幕府の執権にあたる役です。
答え:管領
標準この幕府が「室町幕府」とよばれるのは、なぜですか。
「足利義満」「室町」「御所」を入れて書きます。
答え:3代将軍の足利義満が、京都の室町に御所を建てて政治を行ったから。
理由守護が、守護大名とよばれるほど力を強めたのはなぜですか。
「南北朝の争い」「大きな権限」「家来」を入れて書きます。
答え:南北朝の争いの中で、幕府が味方の武士を集めるために守護に大きな権限をあたえ、守護が国内の武士を家来にして国を支配するようになったから。
なぜ室町幕府は、明と貿易を始めた?
📄 プリント4ページ
答え:14世紀ごろ、倭寇が朝鮮半島や中国の沿岸をおそっていたため、明が日本に取りしまりを求めました。足利義満が倭寇を取りしまって明と国交を結び、1404年に日明貿易(勘合貿易)を始めました。
- 14世紀ごろ、倭寇(西日本の武士・商人・漁民などの一部の海賊)が、朝鮮半島や中国の沿岸をおそい、食料をうばったり人をさらったりする
- 1368年、漢民族が元を北へ追いやり、明を建てる
- 明が日本に、倭寇の取りしまりを求める
- 足利義満が倭寇を取りしまり、明と国交を結ぶ
- 1404年、日明貿易(勘合貿易)を始める
勘合と朝貢:勘合は、正式な貿易船と倭寇を区別するため、正式な船に持たせた合い札です。明の役所の台帳と照らし合わせ、字や印が合えば正式な船と認めました。日明貿易は、日本の王が明の皇帝に貢ぎ物をおくり、そのお返しに品物を受け取る朝貢の形でした。それでも貿易をしたのは、利益が大きく、幕府の財政を支えたからです。博多や堺の商人も貿易にかかわり、町が栄えました。
| 日本から明へ(輸出) | 明から日本へ(輸入) | |
|---|---|---|
| おもな品 | 刀剣・銅・硫黄・漆器など | 銅銭(明銭)・生糸・絹織物・陶磁器・書画など |
覚え方:「勘合で、倭寇と正式な船を見分ける」。明銭は日本で広く使われました。
まちがえやすい
✕ 勘合は、倭寇の船が持っていた証明書 → ◯ 正式な貿易船が持ち、倭寇と区別するためのもの
基本日明貿易で、正式な貿易船が持った合い札を何といいますか。
この合い札があるので、勘合貿易ともよばれます。
答え:勘合
標準次のうち、日本から明へ輸出された品を選びなさい。ア 銅銭 イ 刀剣 ウ 生糸
銅銭(明銭)と生糸は、明から日本への輸入品です。
答え:イ
理由足利義満が明と日明貿易を始めたのは、どのような流れからですか。
「倭寇」「取りしまり」「国交」を入れて書きます。
答え:倭寇が朝鮮半島や中国の沿岸をおそい、明が日本に取りしまりを求めた。足利義満が倭寇を取りしまり、明と国交を結んで、日明貿易を始めた。
朝鮮・琉球・蝦夷地とは、どのようにつながった?
📄 プリント5ページ
答え:朝鮮国とは日朝貿易(対馬の宗氏が仲立ち)、琉球王国は日本・中国・朝鮮・東南アジアを結ぶ中継貿易で栄え、蝦夷地のアイヌの人々は本州の人々と交易をしました。
琉球王国の中継貿易:1429年、尚氏が沖縄島を統一して琉球王国を建て、首里を都にしました。東南アジアのこしょうなどを仕入れ、明・日本・朝鮮へ運んで売ります。明の生糸や陶磁器、日本の刀なども、ほかの国へ運びます。こうして都の首里が栄えました。中継貿易は、ある国から仕入れた品物を、別の国へ売る貿易です。琉球は、中国・日本・東南アジアの文化を取り入れて、独自の文化を築きました。
| 朝鮮国 | 琉球王国 | アイヌ民族 | |
|---|---|---|---|
| だれが・いつ | 1392年、李成桂が高麗をたおして建てる。のちに独自の文字ハングルをつくる | 1429年、尚氏が沖縄島を統一して建てる | 蝦夷地(今の北海道)に住み、狩りや漁をする |
| 日本とのつながり | 倭寇の取りしまりを求め、日本と貿易(日朝貿易)。対馬の宗氏が仲立ち。輸入は木綿など | 中継貿易で栄え、日本・中国・朝鮮・東南アジアを結ぶ | 本州や樺太・大陸の人々と交易。本州の人々(和人)が蝦夷地の南部に移り住む。1457年、コシャマインを中心に和人と戦う |
覚え方:「朝鮮は宗氏、琉球は中継」。
まちがえやすい
✕ 朝鮮との貿易の仲立ちをしたのは、琉球王国 → ◯ 対馬(今の長崎県)の宗氏
基本1429年に沖縄島を統一して琉球王国を建てた氏と、都になった場所を答えなさい。
表の琉球王国の行を見ます。
答え:尚氏、首里
標準日朝貿易で、日本が朝鮮から輸入した品と、貿易の仲立ちをした氏を答えなさい。
表の「日本とのつながり」の朝鮮国の欄を見ます。
答え:木綿など、対馬の宗氏
理由琉球王国が中継貿易で栄えたのは、どのようなしくみだからですか。
「仕入れる」「運んで売る」を入れて書きます。
答え:東南アジアなどで仕入れた品物を、明・日本・朝鮮へ運んで売ったから。
室町時代、農業や商業はどのように発達した?
📄 プリント6ページ
答え:鎌倉時代の二毛作・定期市・宋銭がさらに広がり、室町時代には水車・商品作物・特産物・座・馬借・土倉と酒屋がさかんになりました。お金は明銭も使われました。
| 鎌倉時代 | 室町時代 | |
|---|---|---|
| 二毛作 | 西日本が中心 | 各地に広がる |
| お金 | 宋銭 | 明銭(宋銭も使われた) |
| 定期市 | 開かれた | 開かれる回数が増える |
| さかんになったもの | (まだ少なかった) | 水車・商品作物・各地の特産物・座・馬借・土倉と酒屋 |
| ようす | |
|---|---|
| 農業 | 牛や馬を使った耕作、水車を使ったかんがい、たい肥などの肥料。麻・桑・藍・茶などの商品作物(売るための作物)を作る |
| 手工業 | 絹織物・陶器・紙・刀など、各地で特産物(その土地の名産品)が作られる |
| 運送・金融 | 馬借=馬で物を運ぶ運送業者。土倉・酒屋=お金を貸す高利貸し(酒屋は、酒を造って売りながらお金も貸した) |
| 商業 | 座=商人や手工業者の同業者の団体。貴族や寺社に税を納めて保護を受け、営業を独占した |
品物とお金の流れ:村で商品作物や特産物を作る → 馬借が運ぶ → 定期市や町で売り、明銭で取り引きする → 商人や手工業者は座をつくり、お金を借りる人も増える。覚え方は「運ぶ馬借、貸す土倉・酒屋、まとまる座」です。
まちがえやすい
✕ 二毛作は、室町時代に初めて始まった → ◯ 鎌倉時代に西日本で広まり、室町時代に各地へ
基本馬で物を運ぶ運送業者を、何といいますか。
運送は馬借、お金を貸すのは土倉・酒屋です。
答え:馬借
標準次のうち、お金を貸す仕事をした人々を選びなさい。ア 馬借 イ 土倉・酒屋 ウ 座の商人
アは運送、ウは同業者の団体を作って営業を独占した商人です。
答え:イ
標準室町時代に使われた銅銭は、何銭ですか。また、鎌倉時代に使われたのは何銭ですか。
お金の行を見ます。宋銭も室町時代に使われ続けました。
答え:室町時代は明銭、鎌倉時代は宋銭
村や町の人々は、どうやって自分たちで治めた?
📄 プリント7ページ
答え:村では農民が惣をつくり、寄合(村の会議)でおきてを決めました。借金の帳消し(徳政)を求める土一揆も起こり、都市では京都の町衆や、堺・博多の有力な商人たちが自治を行いました。
村の自治(惣):惣(惣村)は、農民が村ごとにまとまってつくった、自治の組織です。惣では、寄合を開いて村のおきて(村人どうしで決めた約束)を定め、用水路や森林の利用・管理を話し合いました。年貢をまとめて納めることもありました。
一揆と正長の土一揆:一揆は、もともとは目的のために心を一つにして団結すること(その集まり)です。土一揆は、農民などが団結して、借金の帳消し(徳政)を求めた一揆です。
- 1428年、近江(今の滋賀県)の馬借の行動がきっかけになる
- 近畿地方に広がる(正長の土一揆)
- 農民などが土倉や酒屋をおそい、徳政を求める
| 都市の自治のようす | |
|---|---|
| 京都 | 町衆(裕福な商工業者)が自治を行い、応仁の乱で中断した祇園祭を復活させた |
| 堺・博多 | 堺(今の大阪府)・博多(今の福岡県)は貿易で栄え、有力な商人たちが自治を行った |
覚え方:「村は惣、話し合いは寄合」。
まちがえやすい
✕ 一揆とは、農民が武器を持って暴れること → ◯ もとは目的のために団結すること
基本惣で、村のおきてなどを話し合った会議を何といいますか。
村の会議のことです。
答え:寄合
標準正長の土一揆で、農民などは何を求めましたか。また、おそった相手は誰ですか。
土一揆は、借金の帳消しを求めた一揆です。
答え:徳政(借金の帳消し)を求め、土倉や酒屋をおそった。
応仁の乱のあと、なぜ下の者が上の者に打ち勝つようになった?
📄 プリント8ページ
答え:1467年に京都で応仁の乱が始まり、11年間戦いが続いて幕府の力が弱まると、身分の下の者が実力で上の者に打ち勝つ下剋上の風潮が全国に広まりました。山城の国一揆や加賀の一向一揆のように、民衆が自分たちで国を治める一揆も起こりました。
- 8代将軍足利義政のあとつぎ問題などをめぐって、有力な守護大名の細川氏と山名氏が対立する
- 1467年、京都で戦いが始まる(応仁の乱)
- 多くの守護大名が二つに分かれ、11年間戦う。京都は焼け野原になり、戦いは地方にも広がる
- 幕府の力は弱まり、京都とその周りを支配するだけになる
| 一揆 | 年 | 場所 | だれが | したこと |
|---|---|---|---|---|
| 正長の土一揆 | 1428年 | 近江から近畿地方へ | 農民など | 土倉や酒屋をおそい、借金の帳消し(徳政)を求めた |
| 山城の国一揆 | 1485年 | 山城(今の京都府南部) | 武士と農民 | 守護大名の軍を追い出し、8年間自治を行った |
| 加賀の一向一揆 | 1488年 | 加賀(今の石川県南部) | 浄土真宗(一向宗)の信者 | 守護大名をたおし、約100年間自治を行った |
理由(一揆のちがい):正長の土一揆は、借金の帳消しを求めた一揆でした。これに対して、山城の国一揆と加賀の一向一揆は、守護大名をしりぞけて、自分たちで国を治めた一揆です。覚え方は「下の者が上に打ち勝つ、下剋上」です。
まちがえやすい
✕ 応仁の乱のあとも、幕府は全国を強く支配した → ◯ 京都とその周りを支配するだけになった
基本身分の下の者が、実力で上の者に打ち勝つ風潮を何といいますか。
応仁の乱のあと、全国に広まった風潮です。
答え:下剋上
標準次の一揆を、起こった年の早い順に並べなさい。ア 加賀の一向一揆 イ 正長の土一揆 ウ 山城の国一揆
イは1428年、ウは1485年、アは1488年です。
答え:イ → ウ → ア
理由応仁の乱のあと、幕府の力はどうなりましたか。
「京都とその周り」を入れて書きます。
答え:弱まり、京都とその周りを支配するだけになった。
戦国大名は、それまでの大名と何がちがった?
📄 プリント9ページ
答え:戦国大名は、幕府の力にたよらず自分の力で国を支配した大名で、独自の法(分国法)を定め、城下町をつくりました。応仁の乱のあと、約100年間、各地の戦国大名が争った時代を戦国時代といいます。
| 守護大名 | 戦国大名 | |
|---|---|---|
| 力のもと | 幕府から守護に任命され、その権限で国を支配 | 幕府の力にたよらず、自分の力で国を支配 |
| 国の決まり | 幕府の決まりのもと | 分国法を定めた |
| 国づくり | ― | 城と城下町、用水路や堤防、鉱山 |
戦国大名がしたこと:
- 城を築き、城下町をつくって、家来や商工業者を集める
- 分国法=領国(支配する国)の武士や民衆を取りしまるために定めた、独自の法。(例:ある戦国大名の分国法の要約)「けんかをした者は、理由にかかわらず両方とも罰する」「許可なく他国へ手紙を送ってはならない」
- 用水路や堤防を造って農業をさかんにし、鉱山を開発して、国を豊かにしようとした
理由:戦国大名には、守護大名の家来が実権をにぎった者も、守護大名が力をのばした者もいます。覚え方は「自分の力で国を治める戦国大名」です。
まちがえやすい
✕ 戦国大名は、どれも室町幕府に任命された守護大名だった → ◯ 守護大名の家来が実権をにぎった者もいて、自分の力で国を支配した
基本戦国大名が、領国の武士や民衆を取りしまるために定めた独自の法を、何といいますか。
国(分国)ごとに定めた法です。
答え:分国法
理由戦国大名と守護大名は、国を支配する「力のもと」がどうちがいますか。
「幕府から任命」と「自分の力」を入れて書きます。
答え:守護大名は幕府から守護に任命され、その権限で国を支配したが、戦国大名は幕府の力にたよらず、自分の力で国を支配した。
金閣と銀閣の対応:北山文化と東山文化をくらべる
📄 プリント10ページ
答え:金閣は3代将軍足利義満の北山文化、銀閣は8代将軍足利義政の東山文化の建物です。室町文化は、武士(武家)の文化と公家(貴族)の文化がとけ合い、禅宗の影響も受け、民衆の間にも広がった文化です。
室町文化とは:鎌倉文化は武士の気風に合った素朴で力強い文化、国風文化は貴族の文化でした。室町時代には、武士と貴族の文化がとけ合った文化が生まれます。
| 北山文化 | 東山文化 | |
|---|---|---|
| 将軍 | 3代 足利義満 | 8代 足利義政 |
| 建物 | 金閣(鹿苑寺という寺の中) | 銀閣(慈照寺という寺の中) |
| つくり | 1階は寝殿造、3階は禅宗の寺の様式。金ぱくがはられている | 2階建て。1階は書院造ふう、2階は禅宗の寺の様式。銀ははられていない |
| 特色 | はなやか | 落ち着いて、質素 |
| おもな芸術 | 能 | 書院造・水墨画・枯山水 |
金閣にみる、とけ合い:金閣の1階は、平安時代の貴族の住まいの様式(寝殿造)、いちばん上の3階は禅宗の寺の様式です。公家の文化と武家の文化がとけ合ったことを表しています。
能(能楽):猿楽や田楽をもとに、観阿弥・世阿弥の親子が大成した、歌と舞による劇です。義満が保護しました。覚え方は「金閣は義満、銀閣は義政」です。
まちがえやすい
✕ 銀閣には、銀ぱくがはられている → ◯ はられていない(落ち着いた質素な建物)
基本銀閣を建てた将軍は、何代の誰ですか。
表の東山文化の将軍の欄を見ます。
答え:8代将軍 足利義政
標準金閣・銀閣の説明の組み合わせとして、正しいものを選びなさい。ア 金閣-足利義政-慈照寺 イ 金閣-足利義満-鹿苑寺 ウ 銀閣-足利義満-鹿苑寺 エ 銀閣-足利義政-鹿苑寺
金閣は義満・鹿苑寺、銀閣は義政・慈照寺の組み合わせです。
答え:イ
理由金閣が「公家の文化と武家の文化がとけ合ったこと」を表しているといわれるのは、なぜですか。
1階と3階の様式を入れて書きます。
答え:1階が平安時代の貴族の住まいの様式(寝殿造)で、3階が禅宗の寺の様式だから。
室町時代の文化は、どのように広がり、今につながっている?
📄 プリント11ページ
答え:東山文化では、書院造・水墨画(雪舟)・枯山水が生まれ、民衆の間にも狂言・御伽草子・連歌・盆おどりが広まりました。応仁の乱で京都が荒れ、公家や僧が地方へ移り住んだので、都の文化が地方にも広がりました。
東山文化の芸術:書院造は、たたみをしき、床の間・障子・ふすまのある建築で、今の和室のもとです。水墨画は、墨のこい・うすいで自然などをえがく絵で、雪舟が明にわたって学び、日本の水墨画を大成しました。枯山水は、水を使わず、石と砂で山や水の流れを表した庭です。
| 内容 | |
|---|---|
| 狂言 | 能の合間に演じられた、民衆の生活をえがいた喜劇 |
| 御伽草子 | 『一寸法師』『浦島太郎』などの絵入りの物語 |
| 連歌 | 和歌の上の句と下の句を、別の人が次々によみつないでいく |
| 盆おどり | 民衆の間に広まった踊り |
文化が地方へ広がったわけ:応仁の乱で、京都が荒れる → 公家や僧が、地方の戦国大名をたよって移り住む → 都の文化が、地方にも広がる。
| 書院造 | 茶の湯 | 生け花 | 能・狂言 | 御伽草子 |
|---|---|---|---|---|
| 和室 | 茶道 | 華道 | 今も演じられている | 昔話として親しまれている |
覚え方:「水墨画は雪舟、和室のもとは書院造」。
まちがえやすい
✕ 狂言は、貴族の生活をえがいた悲しい劇 → ◯ 能の合間に演じられた、民衆の生活をえがいた喜劇
基本明にわたって学び、日本の水墨画を大成した人は誰ですか。
東山文化の水墨画で出てきた人です。
答え:雪舟
理由室町時代に、都の文化が地方にも広がったのは、なぜですか。
「応仁の乱」「京都が荒れる」「地方の戦国大名」を入れて書きます。
答え:応仁の乱で京都が荒れ、公家や僧が地方の戦国大名をたよって移り住んだから。
中世の日本で、民衆はなぜ力をもつようになった?
📄 プリント12ページ
答え:農業や商業が発達して民衆の生活が豊かになり、村では惣をつくって寄合で治め、団結して土一揆を起こしました。都市では町衆や商人が自治を行いました。応仁の乱で幕府の力が弱まると、下剋上の風潮の中で、一揆が守護大名を追い出して自治を行うこともありました。
クラゲチャート(問い:中世の日本で、民衆はなぜ力をもつようになった?)の理由:
- 農業や商業が発達し、民衆の生活が豊かになった(6ページ)
- 村では惣をつくり、寄合で治めた。団結して土一揆を起こした(7ページ)
- 京都の町衆や、堺・博多の商人が自治を行った(7ページ)
- 明や朝鮮・琉球との貿易で、品物や明銭が入り、商業がさかんになった(4〜6ページ)
- 応仁の乱で幕府の力が弱まり、下剋上の中で国一揆・一向一揆が自治を行った(8ページ)
同じころ、民衆にも文化が広がりました(11ページ)。
| 年 | できごと | 年 | できごと |
|---|---|---|---|
| 1333年 | 鎌倉幕府がほろびる | 1428年 | 正長の土一揆 |
| 1334年 | 建武の新政 | 1429年 | 琉球王国が成立する |
| 1338年 | 足利尊氏が征夷大将軍になる | 1457年 | コシャマインの戦い |
| 1368年 | 明が建国される | 1467年 | 応仁の乱が始まる |
| 1392年 | 南北朝が統一される・朝鮮国が建国される | 1485年 | 山城の国一揆 |
| 1404年 | 日明貿易が始まる | 1488年 | 加賀の一向一揆 |
答えを書くときのコツ:クラゲの足(理由)を順に読み、どのページのことかを思い出します。近い理由をまとめ(商業の発達、自治、幕府の力が弱まったこと)、できごとを順に書いて、「だから民衆は力をもった」とむすびます。
まちがえやすい
✕ 民衆が力をもったわけは、応仁の乱だけ → ◯ 農業・商業の発達、惣や町衆の自治、貿易など、いくつかの理由が重なった
基本年表で、1404年に始まったことは何ですか。
年表の1404年の行を見ます。
答え:日明貿易
標準次のできごとを、年代の古い順に並べなさい。ア 応仁の乱が始まる イ 琉球王国が成立する ウ 日明貿易が始まる エ 山城の国一揆
ウは1404年、イは1429年、アは1467年、エは1485年です。
答え:ウ → イ → ア → エ
✅ 一問一答で総チェック(20問)
問題を読んで、答えを頭の中で言ってからタップしましょう。答えが出ます。
-
後醍醐天皇が吉野にのがれてつくった朝廷は?
答え:南朝
-
後醍醐天皇が始めた、天皇中心の政治は?
答え:建武の新政
-
1392年に南朝と北朝を1つにまとめた3代将軍は?
答え:足利義満
-
室町幕府で、将軍を助ける役は?
答え:管領
-
権限を強め、国を自分の領地のように支配するようになった守護は?
答え:守護大名
-
14世紀ごろ、朝鮮半島や中国の沿岸をおそった海賊は?
答え:倭寇
-
正式な貿易船と倭寇を区別するために、正式な船に持たせた合い札は?
答え:勘合
-
日本の王が明の皇帝に貢ぎ物をおくり、お返しに品物を受け取る形は?
答え:朝貢
-
1429年に沖縄島を統一して琉球王国を建てた氏は?
答え:尚氏
-
ある国から仕入れた品物を、別の国へ売る貿易は?
答え:中継貿易
-
朝鮮との貿易の仲立ちをした、対馬の氏は?
答え:宗氏
-
商人や手工業者の同業者の団体で、営業を独占したものは?
答え:座
-
馬で物を運ぶ運送業者は?
答え:馬借
-
農民が村ごとにまとまってつくった、自治の組織は?
答え:惣
-
1428年に近畿地方に広がった、借金の帳消しを求めた一揆は?
答え:正長の土一揆
-
1467年に京都で始まり、11年間続いた戦いは?
答え:応仁の乱
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身分の下の者が、実力で上の者に打ち勝つ風潮は?
答え:下剋上
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戦国大名が領国の武士や民衆を取りしまるために定めた、独自の法は?
答え:分国法
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3代将軍足利義満が建てた、鹿苑寺の建物は?
答え:金閣
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明にわたって学び、日本の水墨画を大成した人は?
答え:雪舟
まとめ
1333年に鎌倉幕府がほろび、南北朝時代を経て、京都に室町幕府が開かれました。将軍を助ける役は管領で、守護は権限を強めて守護大名になりました。足利義満は倭寇を取りしまって明と日明貿易(勘合貿易)を始め、琉球王国は中継貿易で栄えました。農業・商業が発達し、村の惣や町衆の自治、土一揆が民衆の力を表しました。1467年の応仁の乱で幕府の力が弱まると、下剋上が広まり、自分の力で国を治める戦国大名が現れました。文化では、義満の金閣(北山文化)と義政の銀閣(東山文化)が、武家と公家の文化がとけ合った室町文化を表しています。プリントの確認問題で、年表や表を見ながら手を動かして練習してみてください。

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